5 On Watch / Shostakovich / Barshai

ショスタコーヴィチ Dmitri Shostakovich(1906-1975)
交響曲第14番 op.135 死者の歌(1969)

 ・ 1011

V 心して On Watch (Nacheku) (G. Apollinaire/M. Kudinov)


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V transhee on umryot do nastuplen’ya nochi,

塹壕の中で夜が来る前に彼は死ぬ

moi malenki soldat, chei utomlyonni vzglyad

私のかわいい兵士、疲れ切った目をして

iz-za ukritiya sledil vse dni podryad

シェルターから毎日毎日見つめ続けた

za Slavoi, shto vzletet uzhe ne khochet

栄誉のため、それは舞い上がる望みを失ってしまった

Sevodnya on umryot do nastuplen’ya nochi,

今日彼は夜が来る前に死ぬ

moi malenki soldat, lyubovnik moi i brat.

私のかわいい兵士、私の愛する人、私の兄弟

 

 

I vot poetomu khochu ya stat krasivoi.

だから私は綺麗になりたい

Pust yarkhm fakelom grud u menya gorit,

明るいたいまつのように私の胸を燃やして

pust opalit moi vzglyad zasnezhonnie nivi,

私の視線で雪野原を焦がし

pust poyasom mogil moi budet stan obvit.

墓の帯を私の腰に巻きつけて

V krovosmesheniji i v smerti stat krasivoi

近親相姦と死の中で私は綺麗になりたい

khochu ya dlya tovo, kto dolzhen bit ubit.

殺されることになっている人のため

 

 

Zakat korovoyu revyot, pilayut rozi,

日没は雌牛のようにうめき、バラは明るく輝く

i sinei ptitseyu moi zacharovan vzglyad.

私は青い鳥をじっと見つめてうっとりする

To probil chas lyubvi i chas likhoradki groznoi,

愛が打つとき、恐ろしい熱病のとき

to probil smerti chas, i net puti nazad.

死が打つとき、もどる道はない

Sevodnya on umryot, kak umirayut rozi,

今日彼は死ぬ、薔薇が枯れるように

moi malenki soldat, lyubovnik moi i brat.

私のかわいい兵士、私の愛する人、私の兄弟

 (ロストロポーヴィチ&モスクワフィルのLP解説にあるウサミナオキ氏のロシア語ローマ字表記、KitajenkoのCD解説の英訳から)

 ムソルグスキーは「死の歌と踊り」で子供の死、病弱な若い娘の死、酔った農夫の死、戦士の死を採り上げた。ショスタコーヴィチの「死者の歌」5曲目「心して」は兵士の死を扱っている。いずれも死後の魂が救われる兆しは聴こえない。ムソルグスキーの方の詩人はクトゥーゾフで内容は納得するものであったが、この「心して」の方はアポリネールの詩でゾッとするし、訳がわからない。

ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire 1880-1918)は、サティのパラード上演の際のプログラムにシュルレアリスムという言葉を初めて使ったらしい。パラードのCDがあったので早速聴いてみた。水を流す音ジャー・ジャー、サイレンがウー・ウーと印象的で痛快だ。

シュルレアリスムというのは何となく訳のわからない芸術だと思っていたのでいい機会だから調べてみた。ウィキペディアによると、『理性による監視をすべて排除し、美的・道徳的なすべての先入見から離れた、思考の書き取りのことで、無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指した。』とある。理性や道徳にとらわれない無意識の世界の表現ということだろう。夢の世界のことだから訳がわからないのは当たり前で、鮮烈でエログロナンセンスなんでも来いということらしい。

その先駆けでもあるアポリネールの詩だから分かろうとするのがいけないのかもしれない。実際死者の歌の第3曲目でローレライは岩から飛び降り、4曲目では墓の中の遺体は傷口と心臓と口から百合が生えるし、6曲目ではマダムが心をなくしてヵハヵハチョと笑い、8曲目でコザックが汚く罵る。

アポリネールは1911年のモナ・リザ盗難事件の容疑者としてサンテ刑務所に収容された。その時のことが第7曲目「ラ・サンテ監獄にて」だ。無実がわかり1週間で解放されたそうだ。

第5曲目「心して」の場面は戦場で、見張りの若い兵士が死ぬ運命になっている。ウサミナオキ氏のレコード解説には『詩は、アポリネールが戦地より恋人にあてた1915年5月15日づけの中から。あたしは、小兵士をまつ死神である。』と書かれている。「私」は死神であって兵士の姉であるというのがちょっと合点がいかない。が、近親相姦も何でもありのシュルレアリスムとすればこれもありか。ショッキングなほどいいのかもしれない。兵士が死ぬとき愛のときを死神が心待ちにしているというゾッとする内容だ。

アポリネール自身も第一次大戦に志願して参戦、1916年に塹壕で流れ弾をこめかみに受け開頭手術まで受けている。あっけらかんとしたシロフォンの渇いた音はまるで死者のあばら骨を叩いて遊んでいるようだ。ソプラノの鬼気迫る絶叫と追い討ちをかける打楽器群の凄まじい強打。

そして最終楽章の、「死は全能、歓喜の時も見守っている」と歌う二重唱の終わりに来る打楽器群の殴打もかなり効く。用心しろよとトドメを刺してくる。

無意識の中にはきっとグロテスクで強烈なエネルギーをもったブラックな部分があるのだ。それを認めないわけにはいかない。だいぶ全体性を回復したようだ。