ショスタコーヴィチ Dmitri Shostakovich(1906-1975)
交響曲第14番 op.135 死者の歌(1969)
IX おお、デルヴィク、デルヴィク! O, Delvig, Delvig! (Wilhelm Küchelbecker (1797-1846))
O, Delvig, Delvig! Shto nagrada |
おお、デルヴィク、デルヴィク!どんな報いが |
I del vysokikh i stikhov? |
崇高な行いと詩にあるというのだ |
Talantu shto i de otrada |
才能ある者にとってどんな慰めが |
Sredi zlodeyev i gluptsov? |
悪者と愚か者のいる中であるというのだ |
V ruke surovoy Yuvenala |
ユヴァナリスの厳しい手で |
Zlodeyam groznyi bich svistit |
悪者を脅す鞭が鳴り |
I krasku gonit s ikh lanit. |
顔から血の気が引く |
I vlast tiranov zadrozhala. |
そして力ある独裁者が震える |
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O,Delvig, Delvig? Shto gonenya? |
おお、デルヴィク、デルヴィク!迫害がどうした |
Bessmertiye ravno udel |
不滅も等しく定めだ |
I smelykh vdokhnovennykh del |
恐れを知らぬ見事な行いも |
I sladostnovo pesnopenya! |
そして優しい歌も |
Tak ne umryot i nash soyuz, |
だから我々の絆は死なない |
Svogodnyi, radostnyi i gordyi! |
自由で、よろこばしく誇り高い絆は |
I v schastye i v neschastye twyordyi, |
幸福な時も悲しい時もそれは固く変わらないのだ |
Soyuz lyubimtsev vechnykh muz! |
ミューズを永遠に愛する者の絆は |
デェルヴィクとは誰か。そしてこの詩の意味するところは何か。ロストロポーヴィチ&モスクワフィルのLP解説にあるウサミナオキ氏の文章を引用する。
キュヘルベケル Vilgelm Karlovich Kyukhelbeker (1797 -1846)はロシアの詩人、評論家で、ここでよびかけられている詩人 A. デルウィーク Anton A. Delvig (1798-1831)、ロシア近代文学の父とされている A. プーシキン Aleksandr S. Pushkin(1799-1837)と貴族学校同級生で、3人は詩を愛し、専制に反対する親友であった。(キュヘルベケルはプーシキンの長詩「エウゲニー・オネーギン」のオネーギンの、デルウィークはそのレンスキーのモデルといわれる。)
作者は、デカプリスト (12月党員)の反乱(1825年12月ロシア貴族階級進歩派の秘密団体は立憲制と農奴制廃止をもとめて武装反乱をおこしたが、すぐに弾圧され、参加者のうち5名が死刑、多数が無期または長期の流刑に処された)で死刑の判決をうけたが、減刑されて禁固と無期シベリア流刑となり、同地で死んだ。
その詩は古典主義的で格調たかい。第9楽章のテキストは、1929年プーシキンの流刑が動機となってつくられた、かなり長い詩「詩人たち」(1820) をちぢめたものである。
その詩は、ここの最初の4行ではじまり、「えらばれたものたちよ、俗世にやすらぎはない。神のさだめにしたがい、人びとに天上の『ふるさと」をおもいおこさせよ。 ミルトン、ホーマー、シルレルたちをみよ。人びとの運命の予言者よ、自由な魔術者よ、きみらは裏ぎりや暴政を罰し(ここに、ユウェナーリスを引用する4行がはいる)、悪業と悲哀にたちむかい、するどいまなこで理想をかたり、われらをはげまし、自由をうたう」。(大意)とのべ、ロモノーソフ、ピョートル大帝など口シアの偉人をたたえ、神聖な事業と詩のためのかたい友情をうたった(さいごの8行)あとで、「天才」デルウィークと「愛の詩人」プーシキンに「われらの命は労働と芸術のよろこびにささげられた。なんだというのだ?俗人たちにはわらわせておけ、かれらは無智で盲なのだ!」とむすぶ。
ユウェナーリスは「憤怒が詩をかかせる。」と宣言したローマ最高の諷刺詩人(1世紀後半-2世紀前半)。