ショスタコーヴィチ Dmitri Shostakovich(1906-1975)
イギリス詩人による6つのロマンス
Six Romances to poems by English poets, Op.62, 140 (1942, 管弦楽版1971)
Son・fields・Macpherson・Jenny・Sonnet・King
III 処刑前のマクファーソン Macpherson's Farewell
Kuznetsov & Serov ・ Youtube検索結果 ・ Sulejmanow&Jurowski&Cologne
Tak veselo, otchayanno |
とても陽気に、やけになって |
Shol k viselitse on. |
彼は絞首台に向かった |
F posledniy chas f posledniy plias |
最後のときに |
Pustilsia Makferson. |
マクファーソンは最後のダンスを威勢よく踊り出す |
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Privet vam, tiur'mi korolia, |
じゃあな、地下牢の王よ |
Gde zhin' vlachat rabi! |
そこでは奴隷たちが命を引きずっている |
Menia sevodnia zhdiot petlia |
今日は絞首刑の輪が俺を待ってる |
I gladkiye stolbi. |
すべすべの絞首刑の柱と一緒に |
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F poliah voyni, sredi mechey, |
戦場の剣の争いの中で |
Estrechal ya smert' ne raz, |
一度となく死に向かいあった |
No ne drozhal ya pered ney, |
しかしその前には震えなかった |
Ne drognu i seychas! |
今度も震えないだろうさ |
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Razbeyte stal' moih okov, |
俺の足かせの鋼鉄を砕け |
Vernite moy dospeh, |
俺の甲冑を返せ |
Pust' viydut desiat' smelchakov, |
10人の恐れを知らぬ仲間よやって来い |
Ya odolevu fseh! |
そうすりゃ全部打ち勝ってやるさ |
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Ya zhizn' svoyu proviol v boyu, |
俺は一生戦ってきた |
Umru ne ot mecha. |
そして今剣でではなく死ぬことになった |
Izmennik predal zhizn' moyu |
裏切り者が俺の命を |
Veriovke palacha. |
刑吏のロープに売ったのだ |
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I pered smertyu ob odnom |
死ぬ前に魂が |
Dusha moya grustit, |
一つのことに悲しんでいる |
Shto za menia f krayu rodnom |
故郷の誰ひとり |
Nikto ne otomstit. |
かたきをとってくれないことだ |
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Prosti, moy kray! Ves' mir, proschay! |
あばよ、生まれ故郷、さらばこの世 |
Menia poymali v set'. |
俺は網の中に捕まっている |
No zhalok tot, kto smerti zhdiot, |
しかし死をじっと待ってる奴を憐れんでる |
Ne smeya umeret'! |
あえて命をかけようとしない奴をな |
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Tak veselo, otchayanno |
とても陽気に、やけになって |
Shol k viselitse on. |
彼は絞首台に向かった |
F posledniy chas f posledniy plias |
最後のときに |
Pustilsia Makferson. |
マクファーソンは最後のダンスを威勢よく踊り出す |
(Abdrazakov&NosedaのCDの英訳から)
命をかけて何かを成し遂げようとしない者をマクファーソンは憐れむ。
いかにも旧ソ連やロシアが軍隊に人を誘うプロパガンダに使いそうだ。
マクファーソンとは誰か。
スコットランドの歌に「マクファーソンの怒号(暴言)」McPherson’s Rant、あるいは「マクファーソンの嘆き」 McPherson’s lament、「マクファーソンの別れ」 McPherson’s farewell というのがある。
これは「蛍の光」「故郷の空」で知られる詩人ロバート・バーンズRobert Burns(1759-1796) が、マクファーソンの作った詩を書き直したもののようだ。
ジェイミー・マクファーソン Jamie McPherson(1675–1700) またはジェイムス・マクファーソンはスコットランドの強盗団のリーダーで、貧しい人に寛大で人気があり英雄視されているという。また、熟練した剣士でヴァイオリンをよく弾いた。
デッカのショスタコーヴィチ声楽作品集の解説とネステレンコ&バルシャイ&モスクワ管のレコードの解説には同姓同名の別の詩人が採り上げられていて全く訳のわからない解説になっている。
捕まったマクファーソンは陪審員の多くが敵方だったため処刑されることになり、その前日にこの詩を作り作曲した。
処刑当日、処刑台の下でこの曲を演奏し、ヴァイオリンを与えるから自分の通夜のために演奏してくれないかと氏族に申し出たが、逮捕を恐れて誰も手を挙げる者はいなかった。
そこでヴァイオリンを膝か死刑執行人の頭で叩き壊し、誰もジェイミー・マクファーソンのフィドルを演奏してはならないと言いながら群衆に向かって破片を投げつけた。
友人が恩赦を取り付けて刑場に向かっていたが、それを知った敵方は村の時計を15分早めて死刑執行した。そのヴァイオリンの残骸が博物館に残っているという。
交響曲第13番「バビ・ヤール」の2楽章ユーモアにも引用されている。