4 The Captain / Mussorgsky / Christoff

ムソルグスキー Modest Mussorgsky (1839-1881)
死の歌と踊り Songs And Dances Of Death
LullabySerenadeTrepakThe Captain
IV  司令官 The Captain (1877/6/5) 詩:クトゥーゾフ
Boris Christoff 管弦楽版         Nesterenko ピアノ版

     

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Grokhochet bitva, bleshchut broni

戦いがとどろく、鎧が光る、

Orud' ya mednyye revut,

褐色の武器が大きな音を立てる、

Begut polki, nesutsa koni,

軍勢は走り、馬は駆ける、

I reki krasnyye tekut,

そして赤く染まった川が流れる。

Pylayet polden, lyudi butusa!

真昼の太陽がぎらぎら光り、人々が戦っている!

Sklonilos sontse, boy sil' ney!

日が傾き、戦いはいよいよ激しくなっている。

Zakat bledneyet, no derutsa

日没が辺りを暗くするが、敵たちは戦い続ける

Vragi vsyo yarostney i zley!

より一層猛烈に残酷に!

 

 

I pala noch na pole brani

やがて夜が戦場に訪れる。

Druzhiny v make razoshlis

大群は暗闇の中に散らばる…

Vsyo stikhlo, i v nochnom tumane

全てが静まった、夜の霧の中で

Stenan'ya k nebu podnyalis.

空へ向ってうめき声があがった。

Togda, ozarena lunoyu,

その時、月明かりに照らされて、

Na boevom svoyom kone,

軍馬に乗り、

Kostey sverkaya beliznoyu,

白い骸骨を光らせながら、

Yavilos smert'.

死が現れた。

 

 

I v tishine,

そして静けさの中、

Vnimava vopli i molitvy,

多くの悲鳴と祈り声を聞きながら、

Dovol'stva gordovo polna,

勝ち誇った満足をみなぎらせ、

Kak polkovodets, mesto bitvy

司令官のように馬で巡った

Krugom ob'yekhala ona.

戦場を

Na kholm podnyavshis, oglyanulas,

丘に登ると、辺り一帯を見渡し、

Ostanovilos, ulybnulas

立ち止まり、微笑んだ…

I nad ravninoy boyevoy

そして戦場の平原一帯に

Pronyossya golos rokovoy:

あの不吉な声が響き渡ったのだ:

 

 

"Konchena bitva! Ya vsekh pobedila!

「戦いは終わった! 私は全てを征服した!

Vse predo mnoy vy smirilis, boytsy!

おお、戦士たちよ、おまえたちは私の前に全て屈服した!

Zhizn vas possorila, ya pomirila!

生はおまえたちを敵同士にした、しかし私がおまえたちを仲直りさせたのだ!

Druzhno vstavayte na smotr, mertvetsy!

軍団たちよ、閲兵のために仲間同士として起き上がれ!

Marshem torzhestvennym mimo proydite,

厳粛な隊列を組んで行進するのだ、

Voysko moyo ya khochu soschitat'

私の軍隊を数えてみたい。

V zemlyu potom svoi kosti slozhite,

おまえたちの将来と骨を土の中に埋めるがいい。

Sladko ot zhizni v zemle otdykhat'!

生を離れて土の中で休むのは心地よいぞ!

Gody nezrimo proydut za godami,

すぐに年月が経つだろう。

V lyudyakh ischeznet i pamyat'

そして人々はもはやおまえたちを覚えてはいない。

Ya ne zabudu! I gromko nad vami

しかし私は忘れない!そして骨の上で

Pir budu pravit' v polunochny chas!

真夜中におまえたちを祝して祝宴を開こう!

Plyaskoy tyazholoyu zemlyu syruyu

湿った地面の上を激しく踊って

Ya pritopchu, shtoby sen grobovuyu

踏み固めてやろう、それで墓の天蓋になる

Kosti pokinut' vovek ne smogli,

おまえたちの骨は二度と、二度と逃れられぬ

Shtob nikogda vam ne stat' iz zemli!"

おまえたちが二度と土から起き上がれぬように!」

(SCHIRMER'S LIBRARY, Vol.2018 MUSSORGSKY Complete Songs HARLOW ROBINSONとレイフェルクス盤の英訳より )

 

 

 

 

 

なるほど死は全能、「<死>の人類における究極的の支配」を示して「漠然とした希望のかけらもない」(「ロシア音楽史」マース著、春秋社)のだけれど、ムソルグスキーはなぜこの連作歌曲を作ったのであろうか。

作詞はクトゥーゾフだがムソルグスキーの意向に沿って書かれたものだ。スターソフに暗示されてという表現もあるのでスターソフの意向もあったのだろう。彼らの宗教的基盤はどうであったかよくわからないが、ロシア正教に基づくキリスト教が一般的であったろう。ロシア正教がどういう死生観をもっているのか。死ぬと天国に行く、そこには安らかな生活が待っているのか。

スターソフは、当時の虐げられた民衆が目覚め、自らの力で歴史を作っていくべきだと強く考えていたのではなかろうか。そのため「ボリス」「ホヴァーンシチナ」という歴史オペラ民衆オペラを支援し、民衆の自覚を促そうとした。「死の歌と踊り」は生きているこの瞬間に何もしなければ何も変わらず、ただ死神の餌食になるだけだと訴えているようだ。死後は幸福な楽園は待っていない、今を、生きている今を変えよ、と訴えたかったのかもしれない。

急速に駆け上がる3連符で始まる。ただごとでない。戦場に立っているのだ。16分音符と付点8分音符のパッセージは激しい砲火の音。夜、戦闘が終わると、馬に乗った死が現れ、戦場を巡る。そしてとうとう高らかに、誇らしげに死の勝利を歌うのだ。この旋律は1863年ポーランド反乱で歌われた革命歌「火炎と共に」だそうだ。眠るおまえたちの地面の上を踊り固めてやろう…死がこんなことを言っても我々は何もできない。ただ従うしかないのだ。何たる屈辱。愚かな争いなどやっている場合ではないぞと言っているのか。歌曲集「死の歌と踊り」が終わる。