ベンジャミン・ブリテン Benjamin Britten (1913~1976)
ミケランジェロの7つのソネット Seven Sonnets of Michelangelo Op22 (1940)
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1 ソネット16 Sonnet XVI
Sì come nella penna e nell'inchiostro |
ペンとインクに高い、低い、そして中間のスタイルがあるように |
è l'alto e 'l basso e 'l mediocre stile, |
大理石の中にも |
e ne'marmi l'immagrin ricca e vile, |
高貴なイメージと貧しいイメージがある |
secondo che 'la trar l'ingegnio nostro; |
私たちの好みが知る描き出し方に従って |
|
|
così, signior mie car, nel petto vostro, |
愛する人よ、あなたの心にもたぶん |
quante l'orgoglio è forse ogni atto umile; |
誇りと同様、謙虚な気持ちもあるだろう |
ma io sol quel c'a me proprio è e simile |
しかしそこから私は価値あるものだけ |
ne traggo, come fuor nel viso mostro. |
私が顔に表すものと似たものを描く |
|
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Chi semina sospir, lacrime e doglie, |
ため息や涙、悲しみの言葉の種をまく者は |
(l'umor dal ciel terreste,shietto e solo, |
(天の水分は一つで純粋だが |
a vari semi vario si converte), |
それぞれの種の違いによって違うものになる) |
però pianto e dolor ne miete e coglie; |
悲嘆や悲しみを集め刈り取る |
|
|
chi mira alta beltà con sì gran duolo, |
この上ない美しさを大きな悲しみをもって見る者は |
ne ritra' doglie e pene acerbe e certe. |
疑わしい希望と確かな苦い痛みを得るのだ |
2 ソネット31 Sonnet XXXI
A che più debb'ï omai l'intensa voglia |
なぜ涙や憂鬱な言葉で私の熱烈な望みを |
sfogar con pianti o con parole meste, |
発散し続けなければならないのか |
se di tal sorte 'l ciel, che l'alma veste, |
もし魂に悲嘆を纏わせる天が |
tard'o per tempo, alcun mai non ne spoglia? |
遅かれ早かれ安らぎを許さないのなら |
|
|
A che 'I cor lass' a più morir m'invoglia, |
私の疲れ果てた心はなぜ死を望むのか |
s'altri pur dee morir? Dunque per queste |
全ては死んでなくなるのに この目から見れば |
luci l'ore del fin fian men moleste; |
私の最後の時はより苦痛はなくなるだろう |
ch'ogn' altro ben val men ch'ogni mia doglia. |
悲しみがどんな喜びより大きいのだから |
|
|
Però se 'l colpo, ch'io ne rub' e 'nvolo, |
だからもしこれらの打撃を避けられないとしたら |
Schifar non poss'; almen, s'è destinato, |
いや、それらを探しさえする、それが運命だから |
Ch entrerà 'nfra la dolcezza e 'l duolo? |
喜びと悲しみの間に立つ者は誰なのか |
Se vint' e pres' i debb'esser beato, |
もし幸せになるために私が征服され囚われ続けなければならないとしたら |
|
|
maraviglia non è se nud' e solo, |
疑いもなく武器も持たずたった一人の私は |
resto prigion d'un Cavalier armato. |
騎士の両腕の中の囚われ人で居続ける |
3 ソネット30 Sonnet XXX
Veggio co' bei vostri occhi un dolce lume, |
あなたのすてきな目で私は優しい光を見る |
che co miei ciechi già veder non posso; |
私の盲目の目では見えない光を |
porto co vostri piedi un pondo addosso, |
あなたの脚で重荷を背負って運ぶ |
che de' mie zoppi non è già costume. |
私の不自由な脚では運べない重荷を |
|
|
Volo con le vostr' ale senza piume; |
あなたの翼で翼のない私は飛ぶ |
col vostr ingegno al ciel sempre son mosso; |
あなたの心で天の高みへと永遠に向かう |
dal vostr'arbitrio son pallido e rosso, |
あなたの望みに顔を赤らめたり青ざめたりし |
freddo al sol, caldo alle più fredde brume. |
陽射しの中で寒くも真冬の極寒で熱くもなる |
|
|
Nel voler vostro è sol la voglia mia, |
私の意思はただあなたの意思の中にある |
i mie pensier nel vostro cor si fanno, |
私の思いはあなたの心に生まれ |
nel vostro fiato son le mie parole. |
私の言葉はあなたの息にある |
|
|
Come luna da sè sol par ch'io sia; |
私はただひとり空に浮かぶ月のよう |
chè gli occhi nostri in ciel veder non sanno |
私たちの目では見ることはできない |
se non quel tanto che n'accende il sole. |
太陽が照らしてくれなければ |
4 ソネット55 Sonnet LV
Tu sa, ch'io so, signor mie, che tu sai |
最愛の人よ、私があなたをもっと喜ばせるために近づくことをあなたがご存知で |
ch'i veni per goderti più da presso; |
それを私が知っているとあなたはご存知です |
e sai ch'ỉ so, che tu sa c'ỉ son desso: |
そして私がまだ同じ気持ちでいることをあなたはご存知で、私がそれを知っていることをあなたはご存知です |
a che più indugio a salutarci omai? |
ではなぜ私はあなたに挨拶するのをためらうのでしょうか |
|
|
Se vera è la speranza che mi dai, |
もしあなたが私に与える希望が真実なら、 |
se vero è 'l buon desio che m'è concesso, |
もし私を受け入れるという強い望みが真実なら |
rompasi il mur fra l'uno e l'altro messo; |
私たちの間の壁は粉々になくなります |
chè doppia forza hann' i celati guai. |
隠された悲しみは二重の力を持っているのですから |
|
|
S'i amo sol di te, signor mie caro, |
最愛の人よ、もしあなたの最も愛しているものだけを |
quel che di te più ami, non ti sdegni; |
私が愛しているなら、怒らないでほしいのです |
che l'un dell'altro spirto s'innamora, |
一つの魂がもう一人の人に夢中になっているのですから |
|
|
quel che nel tuo bel volto bramo e 'mparo, |
私が憧れるあなたの美しい顔の中に |
e mal compres' è degli umani ingegni, |
学び取ろうとしますが、人には正しく理解できません |
chi '1 vuol veder, convien che prima mora. |
それを見たいと思う者はまず死ななければならないのです |
5 ソネット38 Sonnet XXXVIII
Rendete agli occhi miei, o fonte o fiume, |
泉よ、川よ、私の目に戻れ |
l'onde della non vostra e salda vena. |
その力強い流れの波はお前のものではない |
Che più v'innalza, e cresce, e con più lena |
それはかさを増し大きくなる |
che non è l vostro natural costume. |
自然の流れより強い力を持っている |
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E tu, folt'air, che 'l celeste lume |
そして重い空気よ、それは私の悲しい目に |
tempri a' tristi occhi, de sospir miei piena, |
天の光を暗くする、お前は私のため息に満ちている |
rendigli al cor mio lasso e rasserena |
それを私の疲れた心に戻せ |
tua scura faccia al mio visivo acume. |
そして私の鋭敏な視界にその暗い顔を明るくさせよ |
|
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Renda la terra i passi alle mie piante, |
大地よ、私の歩みを戻せ |
ch'ancor l'erba germogli che gli è tolta; |
歩みを進めたところに再び草が芽生えるように |
e 'l suono Ecco, già sorda a' miei lamenti; |
そしてこだまよ、まだ嘆く私には聞こえない、その音を返せ |
|
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gli sguardi agli occhi mie, tue luci sante, |
祝福されたひとみよその煌めきを私の目に戻せ |
ch'io possa altra bellezza un'altra volta |
いつか別の美を愛せるように |
amar, po' che di me non ti contenti. |
お前は私に満足していないのだから |
6 ソネット32 Sonnet XXXII
S'un casto amor, s'una pietà superna, |
もし愛が純潔で、思いやりの心が神のように素晴らしいものなら |
s'una fortuna infra dua amanti equale, |
もし幸運を愛する二人で分かち合えたら |
s'un'aspra sorte all'un dell'altro cale, |
もし一方の苦い運命を二人で分かち合えたら |
s'un spirto, s'un voler duo cor governa; |
そしてもし一つの霊が二人の心を支配するなら |
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s'un'anima in duo corpi è fatta etterna, |
もし二人の身体の中の一つの魂が永遠で |
ambo levando al cielo e con pari ale; |
同じ翼で二人とも天国に昇るなら |
s'amor c'un colpo e d'un dorato strale |
もし金色の矢で一撃され、愛が燃え上がり |
le viscer di duo petti arda e discerna; |
二人の心の芯まで貫いたら |
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s'amar l'un l'altro, e nessun se medesmo, |
もしお互いに愛し合い自分自身を忘れ |
d'un gusto e d'un diletto, a tal mercede, |
二人の意志が同じ目的に向かって努力する見返りに |
c'a un fin voglia l'uno e l'altro porre; |
一つの満足や喜びがあるとしたら |
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se mille e mille non sarien centesmo |
もし何千ものことが百のことにもならないとしたら |
a tal nodo d'amore, a tanta fede; |
そのような愛の絆、そのような信頼にとって |
e sol l'isdegno il può rompere e sciorre. |
単なる怒りがそれを壊し溶かし去ってしまうことがあるだろうか |
7 ソネット24 Sonnet XXIV
Spirto ben nato, in cui si specchia e vede |
高貴な魂よ、そこには反映されている |
nelle tuo belle membra oneste e care |
美しい肢体と誠実さと慈愛が |
quante natura e 'l ciel tra no' puo' fare, |
自然と天が私たちになし得るすべてが |
quand'a null'altra suo bell'opra cede; |
美しい他のどの作品よりも優れている |
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spirto leggiadro, in cui si spera e crede |
優美な魂よ、人は希望し信じる |
dentro, come di fuor nel viso appare, |
あなたの顔に現れているように |
amor, pietà, mercè, cose sì rare |
稀なもの、愛と慈悲と思いやりがあることを |
che mà furn' in beltà con tanta fede; |
美しさの中にこれほど実際に見つけられない |
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l'amor mi prende, e la beltà mi lega; |
愛が私をとらえ、美が私を束縛する |
la pietà, la mercè con dolci sguardi |
優しい一瞥と共に慈悲と思いやりが私の心を満たす |
ferma speranz'al cor par che ne doni. |
強い希望をもって |
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Qual uso o qual governo al mondo niega, |
どんな法律や地上の政府が |
qual crudeltà per tempo, o qual più tardi, |
なんと残酷なことがやってきたとき |
c'a sì bel viso morte non perdoni? |
死にその美しい顔を与えるのを禁じることができるだろうか |
(マルティノー、ファンのCD解説の英訳とNims氏の英訳による)
1 ソネット16
この詩はJohn Fredrick Nims氏のThe Complete Poems of Michelangeloの中の84番目の詩だ。注には「1534年、ソネット、おそらくカヴァリエリのために」とある。ミケランジェロがトマーゾ・デ・カヴァリエリに出会ったのは1532年、フィレンツェ共和国が滅びメディチ家が復権してすぐの時期で立場的にも精神的にもどん底だっただろう。ミケランジェロとメディチ家との関係が最悪の時期で翌年にはローマに亡命している。
巨大なダヴィデ像が有名だがミケランジェロは高貴な気質や整った顔立ち、男性的な肉体美を愛したようで青年のカヴァリエリに熱烈な手紙を数多く送っている。そのカヴァリエリに捧げられた詩を集めたのがブリテンの7つのソネットだ。パートナーのピーター・ピアーズに献呈されている。だが内容的にはミケランジェロの苦悩が滲み出ている。
誇り高い高貴な青年を讃え、苦悩しながら作品を創作している自分を対比している詩のようだ。英訳からでもとても訳しにくい。大理石という素材の中からイメージが湧き出てくるという創作過程もわかる。
ブリテンの曲はピアノの響きがとても印象的だ。YouTubeを探すと多くの歌手が取り上げているのに驚いた。
2 ソネット31
この詩はJohn Fredrick Nims氏のThe Complete Poems of Michelangeloの中の98番目の詩。注には「日付は不明。ソネット。最後の行のダジャレが明確にしているように、そしてヴァルキが1547年の講演で証言したように、カヴァリエリのために書かれた。しかし、それがカヴァリエリへの初期の詩に属している可能性もある。サスローは、ミケランジェロが彼らの出会いから1年ほどでカヴァリエリに与えられたものの中のティティウスの罰を描いた頃に行われたことを示唆している。この絵は、レイプの罪を犯し、岩に縛られたティティウスを表しており、彼の絶えず再生する肝臓(欲望の座)はハゲタカに絶えず食べられている。」とある。ブリテンの「ミケランジェロの7つのソネット」の第1曲と同じような時期に書かれたと考えてもよいと思う。最後の行の「騎士 Cavalier」がトマーゾ・デ・カヴァリエリの名前「Cavalieri」を暗示している。
この詩もよくわからない。特に「喜びと悲しみの間に立つ者」とはどういうことを言っているのか。ミケランジェロ自身を指しているのだろうか。ピアーズとブリテンによるこの曲のCD解説には「不安と期待が折り混ざった焦燥感が刻々とハ短調のようでそうではなく、刻々と色を変える曲調によく表されている。」と書かれている。
「征服され囚われ続ける」というのは、法王やメディチ家という様々に変わる多くの権力者たちからあれこれ指示を受けて作品を作らなければならない状況のことをいっているのかもしれない。ミケランジェロは法王やメディチ家と敵対したフィレンツェ共和国側にいたため、クレメンス7世による反乱参加の罪を免除する布告なしには処罰されることを免れなかっただろう。権力者たちのご機嫌を伺いながらうまく生きていかなければならなかったのも事実だろう。また一方ではカヴァリエリを賛美し、その腕の中に「征服され囚われ続ける」ことを望むという意味を掛けているようにもとれる。
3 ソネット30
この詩はJohn Fredrick Nims氏のThe Complete Poems of Michelangeloの中の89番目の詩。注には「1532−34年。ソネット。カヴァリエリに向けて。」と解説は少ない。前の詩と同時期のものらしい。
カヴァリエリへの熱烈な想いを綴った詩だ。ブリテンの音楽は一転して穏やかだ。静かな情熱がこもっていてとても美しい。
4 ソネット55
この詩はJohn Fredrick Nims氏のThe Complete Poems of Michelangeloの中の60番目の詩で、注には「1532年。カヴァリエリへのソネット。」とだけ書かれている。最初に「主よ」と訳したがこれでは何をいっているのか全くわからなかった。そこで「主よ」のところをカヴァリエリに向けての「最愛の人よ」とするとかなり意味が通じるよう思えたので変更することにした。ミケランジェロのカヴァリエリに対する熱烈な想いを歌った詩だろう。ピアーズとブリテンのCD解説には「歌われるのはやるせない気持ちを己に与えた神への切々とした訴えだ。」と書かれている。こう言われてもわからない。「神」を「カヴァリエリ」にするとやはりすんなりする。ブリテンの曲はシンコペーションが特徴的でリズミックだ。
5 ソネット38
この詩はJohn Fredrick Nims氏のThe Complete Poems of Michelangeloの中の95番目の詩で、注には「1534-38年。ソネット。おそらくカヴァリエリへ。自然からのイメージはミケランジェロの絵画と同様に詩でも珍しい」と書かれている。この詩も何を言いたいのかわからない。ピアーズのCDの日本語訳を見たがさっぱり意味がとれない。「詩と音楽」のサイトの藤井氏の訳を見ても腑に落ちない。おそらくこの詩はカヴァリエリとは直接関係ないのではないかと思う。1534年にミケランジェロはフィレンツェを逃れてローマに亡命、保護してくれた法王クレメンス7世が死去し、「最後の審判」制作の中断などが重なって、創作意欲が萎えた時期の詩ではないかと思う。かつての熱中して制作していた自分を取り戻したいと願ったのではないか。ブリテンの曲は不思議な感じで不安感が漂う。
6 ソネット32
この詩はJohn Fredrick Nims氏のThe Complete Poems of Michelangeloの中の59番目の詩で、注には「1532年。ソネット。カヴァリエリへ。」とだけ書かれている。愛がすべてで夢中になっている詩のようだ。ブリテンの曲は快活で力強い。
7 ソネット24
この詩はJohn Fredrick Nims氏のThe Complete Poems of Michelangeloの中の41番目の詩で、注には「1528年以降。ソネット。」とだけ書かれている。ミケランジェロの詩は意味をとるのが難しく訳すのが難しい。変な日本語になってしまう。日本語に限らずだけれど。姿・形の美しさと心の美しさを讃え、その美しさも死を免れないと歌う。ブリテンの音楽も何か悟ったような落ち着きと、清々しさが漂う。
ブリテンは第2次大戦勃発の1939年ピアーズとアメリカに渡り、「イリュミナシオン」を発表、翌年の40年27歳にこの「ミケランジェロの7つのソネット」を発表している。41年にオペラ「ポール・バニヤン」、42年にイギリスに帰国、43年に「テノール・ホルン・弦楽合奏のためのセレナード」を作曲している。この間ピアーズとのコンサート用に民謡編曲を行っていて41年に民謡編曲集第1巻がまとめられたようだ。(デイヴィッド・マシューズ著、中村ひろ子訳「ベンジャミン・ブリテン」春秋社2013年)
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ミケランジェロの7つのソネット(1) Sonnet XVI Seven Sonnets of Michelangelo / Britten
ミケランジェロの7つのソネット(2) Sonnet XXXI Seven Sonnets of Michelangelo / Britten
ミケランジェロの7つのソネット(3) Sonnet XXX Seven Sonnets of Michelangelo / Britten
ミケランジェロの7つのソネット(4) Sonnet LV Seven Sonnets of Michelangelo / Britten
ミケランジェロの7つのソネット(5) Sonnet XXXVIII Seven Sonnets of Michelangelo / Britten
ミケランジェロの7つのソネット(6) Sonnet XXXII Seven Sonnets of Michelangelo / Britten
ミケランジェロの7つのソネット(7) Sonnet XXIV Seven Sonnets of Michelangelo / Britten
ミケランジェロ年表 close
西暦 |
年齢 |
ミケランジェロ |
法王名・一般事項 |
1475
|
0
|
3月6日中部フィレンツェ共和国の力プレーゼ(現アレッツ県)に生まれる。3月末近郊セッティニアーノの石工に里子。 |
シクストゥスⅣ |
1481 |
6 |
母死去。 |
|
1485 |
10 |
父再婚。 |
|
1488
|
13 |
4月父の反対を押し切ってドメニコ・ギルランダイオ工房に入門。 |
インノセントⅦ |
1490 |
15 |
ロレンツォ・デ・メディチ邸に寄宿を許され、教養をつむ。「階段の聖母」「ケンタウロスとラピタイ族の戦い」仲間のトリジァーニの絵を罵り、殴られて鼻の骨を折る。 |
|
1492 |
17 |
ロレンツオ・デ・メディチ没、父の元へ戻る。「磔刑」を制作。サント・スピリト聖堂で人体解剖。 |
コロンブス新大陸発見。 |
1493 |
18 |
サヴォナローラの説教を聞き感動する。 |
|
1494 |
19
|
1月ロレンツォの息子ピエロ、メディチの庭に雪の彫像を作らせる。再びメディチ家に住む。10月ヴェネツィアへ脱出、ついでボローニャへ。 |
アレクサンデルⅥ フランス王シャルル8世フィレンツェに来襲。ピエロ逃亡。フィレンツェ共和制。サヴォナローラが独裁的支配。 |
1495 |
20
|
フィレンツェへ戻る。レオナルド・ダ・ヴィンチと会う。 |
|
1497 |
22
|
「酔えるバッカス」。フランス人枢機卿ジャン・ピレール・ド・ラグロラ「ヴァチカンのピエタ」依頼。6月ローマへ。 |
|
1498 |
23 |
「ヴァチカンのピエタ」 |
ヴァスコ・ダ・ガマ、インド航路発見。 フィレンツェではサヴォナローラ派と反対派の対立激化、4月サン・マルコ聖堂包囲、5月サヴォナローラ処刑。 |
1501 |
26
|
春フィレンツェへ帰る。5月シエナ大聖堂ピッコローミニ祭壇聖像制作契約(1504年までに4体制作)。8月ドゥオーモ大聖堂造営局と毛織物組合より「ダヴィデ」依頼。9月制作開始。この頃「キリストの埋葬」 |
|
1503 |
28 |
4月フィレンツェ、ドゥオーモ大聖堂のために「十二使徒」契約。「トンド・タッディ」 |
ピウスⅢ フィレンツェ、ソデリーニが終身の統領に選ばれる。 |
1504 |
29 |
6月「ダヴィデ」市政庁前に設置。「ブリュージュの聖母子」、絵画「トンド・ドーニ」制作。 |
ユリウスⅡ |
1505 |
30
|
「トンド・ピッティ」。ユリウスⅡの招きでローマへ。ユリウスⅡ墓廟制作を依頼されカッラーラに滞在。 |
|
1506 |
31
|
ユリウスII心変りして墓計画を廃棄。4月フイレンツェへ帰る。11月ボローニアでユリウスIIと和解。 |
|
1507 |
32
|
ボローニァで巨大なユリウスII青銅像制作に従事。4月蠟鋳型、7月鋳造。 |
|
1508 |
33
|
3月「ユリウスII世像」ボローニア、サン・ペトロニオ聖堂正面に設置(1511年12月破壊される)。3月か4月ローマへ。システィーナ礼拝堂天井画契約、制作制作開始。「十二使徒」契約破棄。 |
|
1509 |
34 |
8月システィーナ礼拝堂天井画ほぼ半分完成。9月一年以上途絶えている支払交渉のため、ユリウスⅡに会いにボローニャへ。10月以降ローマ、システィーナ礼拝堂天井画制作再開。 |
|
1511 |
36 |
ボローニャのユリウス像が破壊され、大砲に鋳られる。8月システィーナ礼拝堂天井画除幕式 |
|
1512 |
37 |
10月システィーナ礼拝堂天井画完成。 |
メディチ家がクーデタでフィレンツェに復帰。マキャベリら追放。 |
1513 |
38 |
ユリウスⅡ死去、遺族と墓制作の契約(第二次)。「モーゼ」像と二つの「囚われ人」像着手。 |
レオⅩ |
1516 |
41 |
7月ユリウスII墓廟、第三次契約。9月から墓廟制作のためカッラーラに滞在。12月メディチ家出身の法王レオXよりローマに召ばれフィレンツェ、サン・ロレンツォ聖堂正面の制作依頼。そのためフィレンツェへ。そこでドゥオーモ大聖堂のドームの鼓胴と回廊の改装を依頼される。カッラーラへ戻る。 |
|
1517 |
42
|
引き続きカッラーラで大理石切出しに従事。8月病気になる。 |
ルター九五ヵ条の意見書を発表。宗教改革の端緒。 |
1518 |
43 |
1月レオXとサン・ロレンツォ聖堂正面建設契約。3月新しい大理石産地ピエトラサンタへ行く。4月~9月カッラーラとセラヴェッツァ間の大理石運搬路開拓。 |
|
1519 |
44 |
|
マゼラン世界就航に出発。レオナルド死。 |
1520 |
45 |
3月10日レオⅩ、サン・ロレンツォ聖堂正面建築中止命令。11月8日サン・ロレンツォ聖堂内メディチ家礼拝堂新聖具室の墓廟建築を依頼。「勝利者」。 |
ラファエロ死。 |
1521 |
46 |
12月1日レオⅩ死去。ミケランジェロはメディチ家礼拝堂墓廟のためカッラーラで大理石採掘に従事。ユリウスII遺族墓廟遅延を提訴。 |
|
1523 |
48 |
4体の「囚われ人」。サン・ロレンツォ聖堂内メディチ家礼拝堂墓着手。「聖母子」。 |
ハドリアヌスⅥ |
1524 |
49
|
1月クレメンスVIIにローマへ召び出される。2月クレメンスVII提供の給与・住宅を拒否。フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂内ラウレンチアーナ図書館建設依頼。メディチ家礼拝堂・ロレンツォ墓の「ジュリアーノ」「ロレンツォ」「夜明け」「夕」像着手。 |
クレメンスVII |
1525 |
50 |
ユリウスⅡ遺族の訴訟再発。 |
|
1526 |
51 |
ユリウス墓の第四次設計案を遺族は拒否。 メディチ家墓の「夜」「昼」像着手。 |
|
1527 |
52 |
|
5月神聖ローマ帝国カルルVローマ占領。傭兵による「ローマの掠奪」。フィレンツェ市民メディチ家を追放。再びフィレンツェ共和国成立。 |
1528 |
53 |
フィレンツェ市防衛会議参加。フィレンツェ共和国依頼の「へラクレスとカクス」制作。6月弟ブォナロート死亡。 |
|
1529 |
54 |
1月フィレンツェを防衛するための「軍事九人委員会」に選ばれ、4月「築城総司令官」に就任。7~8月フェッラーラの防衛施設を視察。フィレンツェに戻った9月末ヴェネツィアに逃走。滞在中、リアルト橋の新設計案を依頼される。市政庁や友人らの懇願により11月再びフィレンツェへ戻って防衛工事を指揮。 |
法王・皇帝・メディチ軍フィレンツェに来襲。 |
1530 |
55 |
フィレンツェでヴァローリのために「ダヴィデ/アポロ」制作。メディチ家の刺客に狙われる。メディチ家礼拝堂の地下に潜伏。11月法王のとりなしで、メディチ家の仕事再開。弟子アントーニオ・ミーニ、フランスへ。 |
8月フィレンツェ共和国は法王軍に降伏。フィレンツェ公国成立。メディチ家復活。 |
1531 |
56 |
父ロドヴィコ死去。「夜明け」と「夜」ほぼ現在の形まで完成。夏重病に罹る。ミケランジェロとメディチ家の関係悪化。 |
アレッサンドロ・メディチ、フィレンツェ公となる。 |
1532 |
57 |
4月29日ユリウスII墓廟の新しい契約、彫像6体のみとなる。その年の終り頃トンマーゾ・デ・カヴァリエーリと出会う。カヴァリエーリのために素描制作。終生交流続く。 |
|
1533 |
58 |
9月フランスへ行く直前のクレメンスVIIと会見。システィーナ礼拝堂祭壇壁画「最後の審判」と入口壁に「反逆天使の失墜」制作を約束。10月~翌5月ローマに滞在。 |
|
1534 |
59
|
3月「反逆天使の失墜」は契約は破棄。9月ローマに移住、9月クレメンスVII死去。「最後の審判」計画中断。ユリウスⅡ墓廟を再開。 |
パウルⅢ |
1535 |
60 |
4月「最後の審判」足場架設。9月新法王「最後の審判」契約を追認、ミケランジェロをヴァチカン宮の首席画家、膨刻家および建築家に任命。ヴィットリア・コロンナを識る。 |
|
1536 |
61 |
夏頃再び「最後の審判」に着手か。11月バウルスⅢの法命によりユリウスⅡ墓廟から一時解放。 |
|
1537 |
62 |
カンビドリオ広場整備を依頼される。 |
フィレンツェ、トスカナ公国となり、共和政終わる。 |
1538 |
63 |
10月から1541年にかけてヴィットリア・コロンナのために素描、詩を制作。 |
|
1539 |
64 |
「ブルータス像」この頃着手か。 |
|
1540 |
65 |
12月「最後の審判」上半分完成。 |
|
1541 |
66 |
「最後の審判」制作中足場から落ち怪我。10月「最後の審判」の覆いを取り除く。ユリウスII墓廟再着手。 |
カルヴィン、ジュネーブで宗教改革。 |
1542 |
67 |
8月ユリウスⅡ墓廟の最終契約。10月以降パオリーナ礼拝堂壁画「パウロの回心」着手。 |
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1545 |
70 |
2月にユリウスII墓廟に彫像設置か。その頃ヴィットリアのために素描「磔刑」「ピエタ」図など。7月パオリーナ礼拝堂「パウロの回心」完成。ローマ滞在中のティツィアーノをヴァザーリと訪問。アッレティーノ「最後の審判」批判の手紙。 |
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1546 |
71 |
1月病気。3月パオリーナ礼拝堂壁画「ペテ口の磔刑」着手。ファルネーゼ宮建設着手。10月サン・ピエトロ大聖堂建築監督に就任。詩集の出版を考える。 |
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1547 |
72 |
2月ヴィットリア・コロンナ死去。サン・ピエトロ大聖堂第二案模型。「フィレンツェのピエタ」この頃着手か。 |
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1548 |
73 |
弟ジョヴァン・シモーネ死亡。 |
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1549 |
74 |
3月から6月尿結石症に苦しむ。ベネデット・ヴァルキ、ミケランジェロのソネットを注釈した「二つの講義」出版。 |
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1550 |
75 |
3月「ペテロの磔刑」完成。ユリウスⅢからサン・ジョヴァンニ大聖堂、モントリオーニ聖堂の礼拝堂墓建設などの相談。ヴァザーリ「ルネサンス美術家列伝」初版出版。 |
マルケルスⅡ |
1551 |
76 |
サン・ロッコ聖堂のそばに建てるユリウスⅢの館の模型着手(~1552年2月) |
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1552 |
77 |
カンピドリオ広場第一次整備終了。 |
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1553 |
78 |
コンディヴィ「ミケランジェロ伝」出版。甥レオナルド(弟ブォナロート長男)結婚。 |
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1554 |
79 |
イエズス会聖堂(ローマ)の設計。 |
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1555 |
80 |
パウルスIV、サン・ピエトロ大聖堂のドーム建築を依頼(サン・ロレンツォ聖堂ラウレンチアーナ図書館階段完成)。「パレストリーナのピエタ」制作この頃か。5月結石症再発。弟シジスモンド死亡。12月ミーニの後の弟子ウルビーノ死去。 |
パウルスⅣ |
1556 |
81 |
スポレートの山へ避難(→10月末) |
9月スペイン軍ローマへ接近 |
1557 |
82 |
8月サン・ピエトロ大聖堂ドームの模型(第三案)(1561年11月完成)。7月通風に苦しむ。ルドヴィコ・ドルチェ「絵画問答」を著しミケランジェロ批判。 |
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1559 |
84 |
サン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ聖堂、サンタ・マリア・マッショール望堂内スフォルツァ礼拝堂設計の依頼。「ロンダニーニのピエタ」着手この頃か。 |
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1560 |
85 |
ピウスⅣからポルタ・ピア(ピアの門)の設計、ディオクレティアヌス帝大浴場遺跡にサンタ・マリア・デリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティリ聖堂建築設計の依頼。フィレンツェからサン・トリニティ橋設計依頼。 |
ピウスⅣ |
1563 |
88 |
1月フィレンツェ、アカデミア・デル・ディゼーニョの名誉院長。この頃「磔刑」制作説あり。1545年12月から開かれていた対抗宗教改革のためのトント公会議はこの年12月に閉会。 |
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1564 |
88 |
1月トレント公会議の決議をピウスIV承認、システィーナ礼拝堂壁画「最後の審判」の猥褻とみなした部分を「覆い隠す」決定。2月18日ミケランジェロ、ローマで死去。3月11日甥レオナルドによって遺体はフィレンツェに運ばれ、サンタ・クローチェ聖堂に埋葬。 |
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木下長弘氏、会田雄次氏、コンディヴィ高田博厚氏訳の本を参考にした
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diary 2024-10-31(水) 月齢 28.3 晴れ
スズキのバッハ・カンタータBWV 180、122、96、バッハ・ヴァイオリン協奏曲をパールマンを聴く。2桁の掛け算は5題くらい。ブリテンのミケランジェロの7つのソネット全曲をまとめた。
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