ラヴェル Maurice Ravel (1875-1937)
暗く果てしない眠りUn grand sommeil noir, M. 6 (1895)
(text: ポール・ヴェルレーヌ Paul Verlaine)
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暗く果てしない眠り
Un grand sommeil noir |
暗く果てしない眠りが |
Tombe sur ma vie : |
私の人生に降りてくる |
Dormez, tout espoir, |
眠れ、すべての希望 |
Dormez, toute envie ! |
眠れ、すべての望み |
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Je ne vois plus rien, |
もう何も見えず |
Je perds la mémoire |
記憶はすべてなくなる |
Du mal et du bien..., |
悪いことも善いことも |
O la triste histoire ! |
おお、なんと悲しい人生 |
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Je suis un berceau |
私はゆりかご |
Qu'une main balance |
一つの手でゆすられ |
Au creux d'un caveau : |
地下房の奥底で |
Silence, silence! |
静かなこと、静か |
( Masters of the French Art Song by Timothy Le Van、EMIラヴェル歌曲全集LPの英訳から)
1895年、歌曲の第2作。ヴェルレーヌ(1844-1896)の詩。新潮社の世界詩人全集8「ヴェルレーヌ詩集」には堀口大學訳が載っているがその注には次のように書かれている。
『ヴェルレーヌは、この絶望の詩を、1873年8月8日に書いたと記録に残しているが、それは彼の一生の凶つ日、誰も予想しなかったほど重い禁錮刑2年の宣告を受けた当日だ。この悲しい日を思い出し、後年彼は、「宣告の直後は、人前もあり、なんとか落ついていましたが、鉄鎖につながれ、書記に守られて、警吏の待つ廊下へと、一歩移るや、私は小児のように、声を立てて泣き出しました.......」と、書いている。つまりこの詩は、監房へ戻ったその小児が、自分と自分の苦悩を眠らせようと、歌いきかせた子守唄なのである。』(「凶つ」とは「ふきつ」と読むのか)
ヴェルレーヌはランボーとパリを去り、ベルギーからイギリスに渡るが、愛想をつかしたランボーは逃げ出す。ランボーを追ってベルギーで拳銃を撃ちランボーの手首を負傷させてしまう。彼は現行犯として捕えられ18ヶ月モンス刑務所の独房で服役している。その時の詩らしい。
ラヴェルの作曲は1895年だから詩人は存命で翌年1月に亡くなっている。EMIのラヴェル歌曲全集の解説には『4分音符によって運ばれる和声にサティの影響が感じられる。その4分音符のゆっくりした、鈍い響きは弔いの鐘だ。』と書かれている。また、『この曲もラヴェルの手でオーケストラに編曲されている』とあるがその録音はyoutubeにない。ウィキペディアの楽曲一覧にも書かれていないが紛失してしまったのか。
同じ詩にイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)、エドガー・ヴァレーズ(1883-1965)、アルテュール・オネガー(1892-1955)、アンドレ・ジョリヴェ(1905-1974)が作曲している。
→ Igor Stravinsky : Two Poems by Paul Verlaine, Op. 9: Un grand sommeil noir Donald Gramm · Igor Stravinsky · Columbia Symphony Orchestra
→ Edgard Varèse : Un grand sommeil noir - Version for voice & piano Mireille Delunsch · François Kerdoncuff
→ Arthur Honegger : 4 Chansons pour voix grave, H. 184: No. 3. Un grand sommeil noir Jean-Francois Gardeil · Billy Eidi
→ André Jolivet : Un grand sommeil noir Sophie Marilley · Filippo Farinelli
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ラヴェル年表と歌曲
1875(0歳) |
3月7日、モーリス・ラヴェル、バス=ビレネ県のシブール村に生まれる。間もなくパリに引っ越す。 |
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1882(7歳) |
ギスのもとでピアノの勉強を始める。 |
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1887(12歳) |
ルネに和声を学ぶ。 |
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1889(14歳) |
パリ音楽院のピアノ準備クラスに入る。パリ万国博を見る。 |
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1893(18歳) |
最初の作曲。 |
愛に死せる王女のためのバラードM4(ロラン・ド・マレ詩、独唱、Pf) |
1895(20歳) |
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暗く果てしない眠りM6(ポール・ヴェルレーヌ詩、独唱、Pf) |
1896(21歳) |
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聖女M9(ステファヌ・マラルメ詩、独唱、Pf) スピネットを弾くアンヌのことM10(クレマン・マロの2つのエピグラム 2、独唱、Pf) |
1898(23歲) |
ジェルダジュの対位法のクラスとフォーレの作曲クラスに入る。最初の出版(<古風なメヌエット>) |
紡ぎ車の歌M15(ルコント・ド・リール詩、独唱、Pf) 何とも打ち沈んだM16(エミール・ヴェラレン詩、独唱、Pf) |
1899(24歳) |
<シェエラザード>序曲の初演で指揮をする。 |
私に雪を投げつけたアンヌのことM21(クレマン・マロの2つのエピグラム I、独唱、Pf) 逝ける王女のためのパヴァヌM19(Pf, Orch 編曲) |
1900(25歲) |
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舞姫M25(S 独唱,混声Cho,Orch) あらゆるものが輝いているM28(S独唱,混声Cho,Orch) |
1901(26歲) |
ローマ大賞に応募するが第2位に終わる。<水の戯れ>作曲。 |
カンタータ<ミルラ>M29(3声の独唱,Orch) |
1902(27歳) |
ローマ大賞に再度応募するが落選。<弦楽四重奏曲>作曲(1903完成)。 |
夜M33(S 独唱,混声Cho,Orch) |
1903(28歳) |
ローマ大賞に4度目の挑戦も失敗。歌曲集<シェエラザード>作曲。 |
プロヴァンスの朝M37(S独唱,混声 Cho,Orch) 花のマントM39(ポール・グラヴォレ詩、独唱,PI) 歌曲集<シェエラザード>M41(3曲,トリスタン・クリングゾル詩) |
1904(29歳) |
私立学校の教師になる。 |
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1905(30歳) |
ローマ大賞に最後の応募をするが予選で作品を拒絶され物議をかもす(いわゆるラヴェル事件)。ヨットでヨーロッパ各地を旅行。 |
鏡M43(5曲、Pf) 朝M45(T独唱,混声 Cho,Orch)
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1906(31歳) |
<博物誌> 作曲。 |
おもちゃのクリスマスM47(ラヴェル詩、独唱、Pf) 風は海からM48(アンリ・ド・レエニ詩、独唱、Pf) 博物誌M50(5曲,ジュール・ルナール詩、独唱,Pf) 5つのギリシア民謡A4-8(M.D.カルヴォコレッシ訳,独唱,Pf) |
1907(32歳) |
歌劇<スペインの時>作曲(1909完成)。 |
ハバネラ形式のヴォカリーズ M51(独唱、Pf) 草の上でM53(ポール・ヴェルレーヌ詩、独唱、Pf) |
1908(33歳) |
父死去。ディアギレフと会う。くスペイン狂詩曲),<夜のガスパール>完成。 |
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1909(34歳) |
ディアギレフに<ダフニスとクロエ)の作曲を依頼される。 |
ギリシア民謡くトリパトス)A13(独唱、Pf) スコットランドの歌A12(ロバート・バーンズ詩、独唱、Pf) |
1910(35歳) |
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民謡集A17(4曲作詩者不詳、独唱。Pf) |
1911(36歳) |
歌劇<スペインの時>初演。<高貴で感傷的な円舞曲>作曲。初演。 |
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1912(37歳) |
バレエ<ダフニスとクロエ>初演。 |
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1913(38歳) |
ストラヴィンスキーとムソルグスキーの歌劇<ホヴァンシチーナ>のオーケストレーションをする。<ステファヌ・マラルメの3つの詩>作曲、初演。 |
ステファヌ・マラルメの3つの詩M64(独唱、室内アンサンブル、Pf) |
1914(39歳) |
第一次世界大戦勃発,軍隊入りを志願する。<ピアノ三重奏曲>作曲。 |
2つのへブライの歌A22(作者不詳、独唱,Pf,Orch 伴奏用編曲) |
1915(40歳) |
軍隊に入隊する。 |
3つの歌M69(3曲,ラヴェル詩、無伴奏混声 Cho) |
1917(42歳) |
母死去。軍隊を除隊する。くクープランの墓>完成。 |
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1918(43歳) |
パリ西南部のサン゠クルーに引っ越す。 |
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1919(44歳) |
第一次世界大戦終る。 |
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1920(45歳) |
<ラ・ヴァルス>完成。 |
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1921(46歳) |
パリ西南に位置するモンフォール=ラモリに引っ越す。 |
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1922(47歳) |
<ヴァイオリンとチェロのためのソナタ>作曲,初演。ムソルグスキーの組曲<展覧会の絵>を編曲する。 |
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1924(49歳) |
<ツィガーヌ>作曲,初演。 |
ロンサールここに眠るM75(ロンサール詩、独唱、Pf) |
1925(50歳) |
歌劇<子供と魔法>作曲,初演。 |
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1926(51歳) |
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マダガスカル島人の歌M78(3曲,E.パルニ訳,独唱。FL,Vc, PI) |
1927(52歳) |
<ヴァイオリンとピアノのためのソナタ>作曲。アメリカ旅行に出かける。 |
夢M79(レオン=ポール・ファルグ詩、独唱、Pf) |
1928(53歳) |
<ボレロ>作曲,初演。 |
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1931(56歳) |
<左手のためのピアノ協奏曲 二長調>初演。 |
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1932(57歲) |
<ピアノ協奏曲ト長調>初演。交通事故に遇う。 |
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1933(58歳) |
最後の作品<ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ>完成。脳の障害があらわれ始める。 |
ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテM84(3曲、P.モラン詩、Br 独唱,Orch) |
1934(59歲) |
レマン湖畔のモン=ベルランに療養に出かける。 |
ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテM84b(Pf 伴奏用編曲) |
1935(60歳) |
スペインから北アフリカへ旅行する。 |
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1937 (62歳) |
パリで脳の手術を受けるも、12月28日死去。2日後ルヴァロワの墓地に埋葬される。 |
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(音楽乃友社、作曲家別名曲解説ライブラリー11「ラヴェル」とウィキペディア「ラヴェル楽曲一覧」を参考にした)
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diary 2024-11-22(金) 月齢 20.6 晴れ
スズキのバッハ・カンタータBWV 34、117、98、120、バッハ・無伴奏ヴァイオリンをベンヤミン・シュミットで、ラベルの恋に死んだ女王のバラードをすべての演奏で聴く。ラヴェルの暗く果てしない眠りをアップ。重い響き。
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