サミュエル・バーバー Samuel Barber(1910-1981)
ドーヴァーの渚 Dover Beach Op3 (Matthew Arnold 1822 - 1888)
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PLAY : 1 Thomas Hampson, Emerson String Quartet
PLAY : 2 Thomas Allen, Endellion String Quartet
PLAY : 3 Samuel Barber, Curtis String Quartet
PLAY : 4 Dietrich Fischer-Dieskau, Juilliard String Quartet
PLAY : 5 Marilyn Horne, Tokyo String Quartet
PLAY : 6 Kelly Markgraf, Escher String Quartet
PLAY : 7 Julien Van Mellaerts, Navarra String Quartet
PLAY : 8 Teddy Tahu Rhodes, Australian String Quartet
ドーヴァーの渚 Dover Beach (Matthew Arnold)
The sea is calm to-night. |
今宵の海は静かだ |
The tide is full, the moon lies fair |
潮は満ち、月はくっきりと |
Upon the staits;ー on the French coast the light |
海峡の上にかかっている;フランス側の海岸では明かりが |
Gleams and is gone; the cliffs of England stand, |
輝き消える; イギリス側の崖は |
Glimmering and vast, out in the tranquil bay, |
かすかに白く大きく、静かな湾に突き出している |
Come to the window, sweet is the night-air! |
窓辺に来てごらん、夜の風が心地よいこと! |
Only,from the long line of spray |
あのあたり、しぶきの長い線になったところ |
Where the sea meats the moon-blanch'd land, |
海が月に照らされた陸地と接するところから |
Listen! you hear the grating roar |
耳をすましてごらん、あのざわめきが聞こえるだろう |
Of pebbless which the waves draw back, and fling, |
波が引き戻しては、打ちつける |
At their return, up the high strand, |
浜の奥まで打ち上げる小石のざわめきが |
Begin, and cease, and then again begin, |
始まり、そして消え去り、そしてまた始まる |
With tremulous cadence slow, and bring |
震えるゆっくりとした抑揚で、 |
The eternal note of sadness in, |
永遠の悲しみの調べを聴かせる |
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Sophocles long ago |
ソフォクレスはその昔 |
Heard it on the Aegaen, and it brought |
エーゲ海でその波音を聞き、 |
Into his mind the turbid ebb and flow |
濁った潮の満ち引きを思った |
Of human misery; we |
人生の憂いの満ち引きを;私たちも |
Find also in the sound a thought, |
波音の中にある思いを見出す |
Hearing it by this distant northern sea. |
この遠く離れた北の海で |
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The Sea of Faith |
信仰という海も |
Was once, too, at the full, and round earth's shore |
かつては満ち満ちていた、地球上の岸を |
Lay like the folds of a bright girdle furl'd. |
輝くベルトのひだのように覆っていた |
But now I only hear |
でも今聞こえるのは |
Its melancholy, long, withdrawing roar, |
物悲しく、長い、引いていくざわめきのみ |
Retreating, to the breath |
夜風の息づかいと入り混じって、 |
Of the night-wind, down the vast edges drear |
この世界の広大で物わびしい崖の縁や |
And naked shingles of the world. |
裸の小石の方へ消えていく |
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Ah, love, let us be true |
ああ、君よ、私たちは誠実でいよう |
To one another! for the world, which seems |
お互いに! なぜならこの世界は |
To lie before us like a land of dreams, |
夢の国のように |
So various, so beautiful, so new, |
多彩で、美しく、新鮮に見えるが |
Hath really neither joy, nor love, nor light, |
実は喜びも、愛も、光もなく、 |
Nor certitude, nor peace, nor help for pain; |
確かさも、平和も、苦痛への癒しもないのだから |
And we are here as on a darkling plain |
私たちは暗い平原の |
Swept with confused alarms of struggle and flight, |
戦闘と逃走の混乱した警鐘に押し流され |
Where ignorant armies clash by night. |
夜には無知な軍隊が衝突する所にいるようなものなのだ |
詩はイギリスの詩人、批評家マシュー・アーノルド (Matthew Arnold 1822 - 1888)。
音楽は、浜辺に寄せる小さな波とそれより大きなうねりを表すかのような弦で静かに始まる。
神秘に包まれた夜の海。月が明るく照らす、美しい神秘の海を歌う…と思っていると、最初の節の最後になって音が静まり、「永遠の悲しみの調べを聴かせる」という語句を静かに導き出す。神秘の夜の海と思っていた波の音型は、実は深い人間の悲しみを表していたのだ。
コラール風の音楽になって、ソフォクレスの節が始まる。人間の悲惨さ(human misary)をその波音に聞いた。今、アーノルドはその音から信仰の衰退と混乱を憂う。
ヴィクトリア時代(1837-1901)のイギリスは、社会の大変動の時代であったようだ。
産業革命による大繁栄期。その反面、工業化と都市化、資本家と労働者という階級の誕生、貧富の大きな格差と不公平、社会の矛盾が露呈する。
労働階級は資本家の悪辣な搾取にあい、不合理な法律に痛めつけられ、「飢餓の40年代」といわれるほど悲惨な生活をしていた。やがて67年には選挙権を目指してハイド・パーク騒動が起こり、労働運動やアイルランド独立運動が相ついだ。
このような国内の「無秩序」を視学官としてつぶさに見たアーノルドが、この混乱を秩序付けようと「教養」を説いたのがこの書(「教養と無秩序」)である。
アーノルドは、「もっとも幸福な人間とは自己を完成しつつあるともっとも多く感んじる者である。」というソクラテスの言葉をひいて説く。そうして個人的完全は社会の完成、人類の完成とともにある。…我々の最善の自己、正しい道理と信ずるものを公的に認識、確立し、権威づけることが必要となる。…我々は国家というものを、この権威の現れとするよう努力しなければならない。そのような権威によって秩序づけられた社会にあってこそ、人間の内の完全を愛する本能が助成され、発達しうるのであり、最も善きものが普及し、人類の向上が可能になるのである。
こうして個人の生き方と社会のあり方とを規定しようとしたアーノルドの課題は、要するに、人間存在に永久につきまとう課題であろう。彼が人類の運命を進めようとした「方向」は、一世紀すぎた今日ながめてみても、やはり正しかったし、将来においても、我々の進むべき方向であろう。この点に、彼がゲーテ以来最大の、ヒューマニストといわれるゆえんがあるようである。
(P.93-94 代田万里 世界文学鑑賞辞典「教養と無秩序」の項)
イギリス国教会も19世紀、カトリック系の高教会派(ハイ・チャーチ)とプロテスタント系の低教会派(ロー・チャーチ)、中庸の立場の広教会派(プロード・チャーチ)が入り乱れ、論争と緊張が引き起こされる混乱した様相を示していたようだ。マシュー・アーノルドの父で教育者のトーマス・アーノルドはこの広教会派の会員だったとある
社会的宗教的混乱の時期にあって、アーノルドは大きな深い憂いを感じたのだろう。
バーバーは、最後の節の冒頭"Ah, love,"を強めて嘆く。そしてそれに続く"joy"にクライマックスを置く。
この世は実は喜びも、愛も、光もなく、確かさも、平和も、苦痛への癒しもないのだ!
音楽は一転、静まり返る。そして、冒頭と同じような、静かなさざなみとうねりの憂いの波音になり、最後の比喩が歌われる。
我々がいるのは衝突と喧騒が渦巻く暗い荒野なのだ。
音楽は暗く重い波音の余韻を残して消えてゆく。
バーバーは21歳、作品番号は3。
深い感動と謎、余韻を与えてくれるこんな音楽と詩が好きだ。
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diary 2023-7-19 (火) 月齢1.3 曇り
バーバー・ドーヴァーの渚を編集し直してアップ。
トウキョウカルテットとマリリン・ホーンの歌があるのは知らなかった。
静かな悲しみの音を聴く。