シューベルト 3 凍った涙 冬の旅 Gefrorne Tränen Winterreise / Schubert

シューベルト Franz Schubert (1797-1828)

3. 凍った涙 / 冬の旅 Gefrorne Tränen / Winterreise

 

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1. 3 凍った涙 Gefrorne Tränen

play 1·2·3·4·5

001 Ian Bostridge, Thomas Adès

002 Dietrich Fischer-Dieskau, Gerald Moore

003 Hans Hotter, Michael Raucheisen

004 Gerhard Hüsch, Hanns Udo Müller

005 Christoph Prégardien, Michael Gees

006 Crista Ludwig, Eric Werba

007 Hans Duhan, Ferdinand Foll

008 Ian Bostridge, Jurius Drake (2015)

 

 

ボストリッジ著「冬の旅 3 凍った涙」の章に挙げられた曲

    play 2.3.4.5 ALL

 

2. ベルリンの戦闘の1ヶ月前に録音された1945年録音ペーター・アンダース&ミヒャエル・ラウハイゼン(ヒトラーのお気に入り)

    play 3 凍った涙 Peter Anders · Michael Raucheisen 

 

3. パリにおけるヨーロッパの解放者たち Die Befreier Europas in Paris, D. 104

    play Detlef Roth, Ulrich Eisenlohr 

 

4. 海辺にて Schwanengesang, D. 957: No. 12, Am Meer

    play Ian Bostridge · Antonio Pappano

 

5. バッハ『泣き、嘆き、悩み、怖れよ』Cantata BWV 12 "Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen", Karl Richter / Münchener Bach-Orchester

    001 Sinfonia

    002 "Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen"

    003 "Wir müssen durch viel Trübsal"

    004 "Kreuz und Krone sind verbunden"

    005 "Ich folge Christo nach"

    006 "Sei getreu, alle Pein"

    007 "Was Gott tut, das ist wohlgetan"

 

 

3. 凍った涙 Gefrorne Tränen

Gefrorne Tropfen fallen 

凍った雫が落ちる

Von meinen Wangen ab:

ぼくのほおから

Ob es mir denn entgangen, 

それでは気づかなかったのだろうか

Dass ich geweinet hab'?

泣いていたことを

 

 

Ei Tränen, meine Tränen, 

ああ、涙よ、ぼくの涙よ

Und seid ihr gar so lau, 

おまえはそんなに生ぬるいのか

Dass ihr erstarrt zu Eise, 

氷に変わってしまうほど

Wie kühler Morgentau?

冷たい朝露のように

 

 

Und dringt doch aus der Quelle 

でもおまえは源から溢れ出てくる

Der Brust so glühend heiss, 

ぼくの胸の内から、やけどするほど熱く

Als wolltet ihr zerschmelzen 

溶かしてしまうかのようだ

Des ganzen Winters Eis.

冬の氷すべてを

(ヒュペリオンのシューベルト歌曲全集の英訳による)

 

 

イアン・ボストリッジの著書『シューベルトの「冬の旅」』(2017年、アルテスパブリッシング発行、岡本時子+岡本順治 訳)を読んでいる。「3 凍った涙」では2010年のモスクワ、プーシキン美術館での「冬の旅」公演の思い出から始まる。プーシキン美術館はマリーナ・ツヴェターエワの父親が創立したという。ショスタコーヴィチの曲を思い出して感慨深い。プーシキンの「オネーギン」も「冬の旅」の旅人の又従兄弟的存在であるというのもうなずける。

 

「冬の旅」は「戦争」とその後の『凍りついた平和』を思わせる。ナポレオン戦争とその後の『ひたすらに否定的』なウィーン体制で、詩人ミュラーは解放戦争に加わり実際の悲惨な戦争を体験している。そして音楽と戦争との関係に目を向ける。

 

ナチス政権とクラシック音楽との関係は『複雑で悩ましい』として、ドイツ文明の象徴とするドイツ歌曲全曲録音の一部のペーター・アンダースと『ヒトラーのお気に入り』であったミヒャエル・ラウハイゼンの「冬の旅」の録音をあげる。1942年ころに録音されたハンス・ホッターとラウハイゼンの録音も、スターリングラード攻略時に聞いたであろうドイツ兵の「歴史的瞬間と独特の共鳴」とするジジュクの説とともにあげる。『抽象的な感情が「具体的なものからの逃避」を可能にしているのである。これが芸術の目的なのだろうか?ひどい真実を隠すことが?』と問う。

 

次にヴェルナーの絵を詳細に見る。普仏戦争で勝利した軍服を着たプロイセン兵がフランスのサロンでリートを歌っている。軍国主義と『静かな音楽をとおしての自己表現という感受性の極致とでもいうべき「人間形成」』が居心地が悪く居座っているとし、この2つは共存できるのであろうかと結ぶ。

 

フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」の初演は1943年1月30日ツェーレンドルフの学校であったが、空襲警報が鳴り一時中断された後に継続されたそうだ。ディースカウから『権力にまさる特権を「人間形成」に付与し』た『新たなるリート歌唱』が始まったとしている。

 

感傷の時代であった18世紀半ばから後半までに対して『1820年代までに、感傷を崇拝したり、泣き悲しむことは古くさいものになってしまった。』そして「凍った涙」は『感情抑制の歌であり、感情の客観化についての歌である。』としている。

 

音楽に限らず、絵画、文学、新聞、ラジオ、戦時にはすべてが利用される。そして逃れられない。なんとしても戦争は避けたい。アンダースやホッターの録音が戦時中であったことには気づきもしなかった。よく聴くとアンダースは深い気持ちを込めて歌っている。「凍った涙」は外の凍りつく寒さ(冷淡さ)に対して内側の熱い熱い想いが吐露される。詩人ミュラーは1814年ブリュッセルからデッサウにひとり戻る旅の中で煮えたぎる気持ちで涙を流したのだろうか。

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社会状況

ミュラー

シューベルト

1789

フランス革命

 

 

1794

 

10/7ドイツ、侯国アンハルト・デッサウに仕立職人の家に生まれる

 

1797

 

 

1/31ヴィーン、リヒテンタールに教師の家に生まれる

1800

ベートーヴェン交響曲1番

6歳、ハウプトシューレ入学

 

1804

ナポレオン、皇帝に即位ベートーヴェン交響曲3番

 

 

1805

アウステルリッツ三帝会戦でオーストリア・ロシアがナポレオン軍に敗れる、ウィーン占領

 

 

1807

侯国アンハルト・デッサウ、ライン同盟に加わりフランスに従属

 

 

1808

ベートーヴェン交響曲第5番

14歳、母没

11歳、ヴィーン宮廷少年合唱団に入団、寄宿学校コンヴィクトに入学、寮のオーケストラに参加

1809

ナポレオン再びウィーン占領ハイドン没

15歳、父再婚

 

1810

 

 

13歳、初めて4手のピアノのための幻想曲作曲

1812

ナポレオン、ロシアで敗退。プロイセンでフランス占領軍に対する解放戦争始まる

18歳、ベルリン大学入学

15歳、宮廷楽長サリエリに作曲を習い始める、母没

1813

ライプツィヒでフランス軍敗れる。ウーラント「さすらい人の歌」出版

19歳、解放戦争の志願兵になる、グロースゲルシェンの戦い、パウツェンの戦い、クルムの戦い、プラハ、オランダ、ブリュッセルへ

16歳、コンヴィクト終了、王室普通上級学校で教員養成所に通う、父再婚

1814

ナポレオン退位エルバ島追放王政復古。ウィーン会議開始

20歳、ブリュッセルでユダヤ人既婚者と推定されるテレーゼと恋愛、ベルリンに戻る。

17歳、普通上級学校卒業。父親の勤める学校の助教員になる「糸を紡ぐグレートヒェン」「ミサ曲D105」をテレーゼ・グローブ歌う

1815

ナポレオン、エルバ島脱出ワーテルローの戦いで敗北、セントヘレナ島流刑、ウィーン会議終結

21歳、大学生活再開、友人の妹ルイーゼ・ヘンゼルと交際、古典文献学、ゲルマン研究に専念。

18歳、「野ばら」「魔王」

1816

 

22歳、ブレンターノの出現でルイーゼに失恋、シュテーゲマン家で劇「美しき水車屋の娘」演じる5篇

19歳、サリエリの証明書をつけてライバッハの音楽教師のポストに求職するが失敗「万霊節の連祷」「竪琴弾きの歌」「さすらい人」

1817

 

23歳、男爵ザックの研究旅行に随伴。ウェーバー訪問、ギリシャへ行く予定がペスト流行で中止となりイタリアへ向かう。男爵と決別。

20歳、フォーグルを紹介される「死と乙女」「ます」「楽に寄す」

1818

 

24歳、ローマ、フィレンツェ、ヴェローナ、ミュンヘン、ドレスデンに戻る。

21歳、ロッサウ転居。以降両親の生活から離反、エステルハージ家のレッスンに招聘される「軍隊行進曲」

1819

カールスバート決議で自由主義・国民主義の抑圧・検閲

25歳、大学を正式に卒業していないため、デッサウの代用教員になり、副業で図書館員となる。

22歳、「プロメテウス」「ピアノ五重奏ます」

1820

 

26歳、「ローマ・ローマ人」全2巻を出版。世に知られる。父没。「旅する角笛吹きの遺稿より77の詩」出版(美しき水車屋の娘全25篇を含む)

23歳、友人のゼンとともに一時逮捕される「ラザルス」「魔法の竪琴」

1821

オスマントルコに占領されていたギリシャが独立戦争を始める。ウェーバー魔弾の射手

27歳、5月デッサウの参事官バゼドウの娘アーデルハイトと結婚。10月「ギリシャ人の歌」出版。ギリシャを讃える。「ロード・バイロン」「永遠のユダヤ人」「冬の旅」執筆

24歳、シューベルティアーデ始まる「ズライカ」「ミニョン」

1822

 

「ギリシャ人の歌」第2巻出版「新ギリシャ人の歌」

25歳、ヴェーバーとヴィーンで面会。病気に感染「僕の夢」「未完成」「さすらい人幻想曲」

1823

ベートーヴェンミサソレムニス

29歳、「冬の旅」第1部出版。

26歳、数日間総合病院に入院。「夜と夢」「美しき水車屋の娘」「ロザムンデ」

1824

バイロン、ギリシャで病死

30歳、「冬の旅」第2部を含む完成版出版。宮廷顧問官に任命される。

27歳、エステルハージ家の音楽教師に、「夕映に」「弦楽四重奏曲ロザムンデ」「弦楽四重奏曲死と乙女」「八重奏曲」

1825

 

 

28歳、フォーグルとオーストリア州旅行「若き尼」

1826

ウェーバー没

32歳、百日咳にかかる、ジモリンとフランツェンスパートに湯治、デッサウ劇場監督に「13番目」ウラニアに掲載

29歳、宮廷副楽長とケルンテン門劇場の副指揮者に応募するがどちらも失敗、「春に」「シルビアに」「弦楽四重奏曲15番」

1827

ベートーヴェン没

33歳、心気症のようなもので苦しむ、南西ドイツ旅行。ケルナー、ウーラントを訪問。ミュラー作品の出版をするシュヴァープと面会。冷淡なゲーテと面会。10/1死亡、小説「デボラ」ウラニアに掲載

30歳、4月「冬の旅」第1部を見つけ作曲始める。10月第2部を見つけ作曲開始。「即興曲」「ドイツ・ミサ曲D872」

1828

 

 

31歳、「冬の旅」第1部楽譜出版。兄フェルディナントの家に同居。11/19死亡。12月第2部楽譜出版。「ミサ曲D950」「弦楽五重奏曲」「3大ピアノソナタ」「交響曲グレート」「白鳥の歌」

 

 

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@ Schubert  

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3 凍った涙 冬の旅 Gefrorne Tränen Winterreise / Schubert

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diary 2024-1-30(火) 月齢18.6 晴れ
リヒターのバッハ・カンタータ33、78を聴く。
「冬の旅 3 凍った涙」をアップ。
ボストリッジの本に出てくる関連した曲も聞けるようにした。「パリにおけるヨーロッパの解放者たちD104」は初めて意識して聴いた。1814年3月31日パリが陥落した後の5月に作られたようだ。オーストリアもロシアもプロイセンも解放され平和が戻ったというもの。シューベルト17歳「グレートヒェン」が書かれた年だ。アンダースもホッターもディスカウもヒトラーの時代から歌っていたことに気づかされた。
ディスカウの「冬の旅」の初演1月30日、つまり80年ほど前の今日だ。そして明日はシューベルトの誕生日。偶然だが何か感慨深い。

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