シューベルト Franz Schubert (1797-1828)
20 道しるべ Der Wegweiser 冬の旅 / Winterreise
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1. 冬の旅 20 道しるべ Der Wegweiser
play 1·2·3·4·5
001 Ian Bostridge, Thomas Adès
002 Dietrich Fischer-Dieskau, Gerald Moore
003 Hans Hotter, Michael Raucheisen
004 Gerhard Hüsch, Hanns Udo Müller
005 Christoph Prégardien, Michael Gees
006 Crista Ludwig, Eric Werba
007 Hans Duhan, Ferdinand Foll
008 Ian Bostridge, Jurius Drake (2015)
2. ボストリッジ著「冬の旅 20 道しるべ」の章に登場する曲
1 シューベルト:最初の喪失 Erster Verlust, D.226
001 Ian Bostridge, Jurius Drake
2 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲ヘ短調作品131 String Quartet No.14 in C-sharp minor, Op.131
Quartetto Italiano
001 (00:00) I. Adagio ma non troppo e molto espressivo
002 (08:51) II. Allegro molto vivace
003 (11:56) III. Allegro moderato – Adagio
004 (12:53) IV. Andante ma non troppo e molto cantabile – Più mosso – Andante moderato e lusinghiero – Adagio – Allegretto – Adagio ma non troppo e semplice – Allegretto
005 (27:30) V. Presto
006 (33:05) VI. Adagio quasi un poco andante
007 (35:33) VII. Allegro
20 道しるべ Der Wegweiser
Was vermeid' ich denn die Wege |
なぜ避けるのだろう |
Wo die anderen Wandrer gehn, |
他の旅人が通る道を |
Suche mir versteckte Stege |
そして人目につかない小道を探すのか |
Durch verschneite Felsenhöhn? |
岩だらけで雪を被った険しい道を |
|
|
Habe ja doch nichts begangen, |
ぼくは悪いことなどしていない |
Dass ich Menschen sollte scheun - |
人目を避けるようなことは |
Welch ein törichtes Verlangen |
どんな馬鹿げた願いが |
Treibt mich in die Wüstenein? |
ぼくを荒地に導くのか |
|
|
Weiser stehen auf den Wegen, |
道には道しるべが立っている |
Weisen auf die Städte zu, |
さまざまな町をさし示す道しるべが |
Und ich wandre sonder Massen, |
ぼくは絶え間なくさまよいつづける |
Ohne Ruh', und suche Ruh'. |
休みなく、休みを探しながら |
|
|
Einen Weiser seh' ich stehen |
一つの道しるべが立っている |
Unverrückt vor meinem Blick; |
ぼくの目の前に揺らぐことなく |
Eine Strasse muss ich gehen, |
一つの道をぼくは進まなくてはならない |
Die noch Keiner ging zurück. |
未だ誰も帰ってきたことのない道を |
(ヒュペリオンのシューベルト歌曲全集の英訳による)
イアン・ボストリッジの著書『シューベルトの「冬の旅」』(2017年、アルテスパブリッシング発行、岡本時子+岡本順治 訳)の「20 道しるべ」の章を読む。
章頭にドイツ人画家エマニュエル・ロイツェの絵「モヒカン族の最後」(1850ころ)が掲げられている。カスパー・ダーフィト・フリードリヒの絵に似て、若いモヒカン族の勇者らしき男が高い崖上の岩に立ちひとり下界を見下ろしている。
「おやすみ」と同じように「歩く速さで(gehender Bewegung)」と明示されている。ここでは孤独な尋問者が自分自身の存在に疑いを投げかけている。第2節で導入される長調が、皮肉や虚勢、ヒステリー、絶望を一時的にきれいに洗い流し取り去る。やがて短調が戻り、声は切迫感を伴いながら悲痛な叫びへと絶望感を強める。
この感情の噴出の後、シューベルトの歌曲全体の中でも最も目を見張るような感動的な部分がくる。誰も戻ってきたことのない道を指し示すものにハーモニーをともなわないト音のピッチをピアノで繰り返している。それを声が引き継ぐ。ここは深刻な静けさと激しさとの瞬間で、さらにト音は1オクターヴ低いところで響きピアノの上部では旋律が下行し下部では上行していき痛々しい前進をとげる。偉大な歌曲伴奏者ジェラルド・ムーアは『これらの催眠作用をもつ単純さの存在感が顕著な状態で、最後の詩行が繰り返される。こんどは音量はそれほどでもないが、歌唱旋律を包囲するはさみ打ち作戦により、不吉な雰囲気が高まっている。』と説明している。
「道しるべ」は死というものが決定的に存在感を持つ瞬間だがじれったいほどあいまいだ。旅人は死に向かう道を選んでいるようで次の「宿屋」へつながる。それは私たち全員が遅かれ早かれ自分に言い聞かせなくてはならないことであり、いずれ帰還することのない旅路につくことは避けられないという事実だ。受け入れる自由以外には選択の自由は存在しない。
『冬の旅とは、自己保存本能と死の本能、愛と死というフロイトのいわゆる二つの対極的な概念の中心軸なのであり、あきらめて不可避なものと一体になることを学ぶ教材でもある。』
シューベルトの生涯の最後の5年間を支配することになる深刻な病気が最初に言及されるのは、1823年2月28日付の健康上の問題で家を出られないという仕事の手紙だ。彼が梅毒にかかっていたことはかなり明らかで、人々は公の場では口にしなかったが一般にも知られていた。症状が現れたのは1822年11月の可能性が高い。シューベルトは寄宿していたショーバーの家を出て、自分の家族のもとに帰り、伝染性の高い第二段階の間看病してもらっている。1823年のおそらく5月にウィーンの総合病院に入院し、「美しき水車小屋の娘」と「私の祈り」という詩を書き上げた。病に冒された体の状態に対する深い憂鬱とこの病気の症状である鬱に二重に苦しめられていたことは間違いない。
8月にはフォーグルと旅行できるくらい回復したが、ウィーンで定期的に主治医シェファーの診察を受けていた。11月18日に友人クーペルヴィーザーはシューベルトが元気になったという手紙をもらっている。12月24日に友人シュヴィントはシューベルトが発疹のせいで髪を短く刈り込まなくてはならず心地よいカツラをつけていると手紙に書いている。
1824年3月、ベルンハルト博士による厳しい食餌療法と大量のお茶の摂取という新しい治療計画が開始された。シューベルトはクーペルヴィーザーに絶望の手紙を送っている。4月には骨がひどく痛み出し特に左腕がひどく、失声症も経験する。1824年7月までにはこれらの症状はなくなったが、1825年の年頭に再入院、7月にはよくなった。
当時の水銀療法に効果があったはずはなかった。シューベルトを診察したフェリングとザーレンバッハの二人の医師は梅毒の治療に関する本を書いている。その治療法とは、肉、炭水化物、ミルク、コーヒ、ワインはだめで、飲んで良いのは水とお茶だけだった。部屋を29度まで暑くし、窓は開けない、下着や寝具類の交換もなしで、口をすすぐほかは体も洗わない。治療中は部屋を出ることもできず、1日おきにラードと水銀を混ぜた軟膏を体のさまざまな部位に塗布するものだった。
この病の最終的な周期は1828年9月1日に始まった。もう一人のかかりつけ医師ザーレンバッハの勧めで兄フェルディナントのアパートに引っ越した。10月初旬にハイドンの墓まで約64キロの徒歩旅行をしたあと気分が悪くなった。水銀塗布治療の過程で長距離の散歩がしばしば指示されたようだ。10月31日に魚を食べて体調が悪くなり、ほとんどものを食べなくなった。11月3日には3時間の散歩、4日には音楽家で教師のゼヒターに対位法を習い始めている。9日にシェーンシュタインの家で食事をしたが11日には病床についてしまった。精神錯乱と意識の晴明さが交互に現れていた。歌劇「グライヒェン伯爵」に取り組み、「冬の旅」後半の校正を行なっていた。
11月12日、生涯最後の手紙を友人ショーバーに書いている。それは、クーパーの本、「モヒカン族の最後」「密偵」「水先案内人」「開拓者」は読んだから、彼の他の本があったらコーヒーハウスの方へ預けてくれというものだった。ショーバーと付き合い、彼の影響を受けて、大酒を飲み騒いだ結果、気がついたら梅毒に感染し病に倒れたとするのが一般的な憶測だ。シューベルト研究の第一人者ドイチュはショーバーは感染を恐れ近寄りもせず11月には見舞うことはなかったと記録している。
アメリカの作家ジェイムズ・フェニモア・クーパーの小説の熱狂的流行は1820年代のヨーロッパを席巻していた。ゲーテも病みつきになり読書の記録メモに彼の本が書かれている。空想の中のアメリカは繁栄と希望の地であり、最盛期を過ぎたヨーロッパの抑圧的な政治や閉鎖的な慣習の束縛を受けない場所だった。ドイツ人の移民の波が始まったのは1817年のことだ。
臨終の床でシューベルトが「冬の旅」の校正を行いながら「モヒカン族の最後」を読んでいる姿は素晴らしく人間的な光景だ。その本に登場する英雄、辺境の開拓者ナッティ・ボンボーは自然と文明化された人類を理想的に統合した存在であり、ニックネーム進路発見者を持つ。疎外され、さまよいまわる除け者のヨーロッパ人とは極めて明確に対比をなす。
1828年
11月13日 静脈穿刺に2グルテン費やす。
11月14日 ベートーヴェン弦楽四重奏曲ヘ短調作品131を演奏してくれと頼み感激する。
11月16日 医師フェリングとヴェスグリルの診察。診断は腸チフス。
11月17日 衰弱しているが意識は明確、夕方意識障害。
11月19日午後3時 シューベルト死亡。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「道しるべ」から内容、音楽ともずっと深くなる。死は誰にも避けられないが、その道を進む決心をするのは大変難しい。シューベルトは梅毒に感染し、今では意味のないと思われる大変な治療を行ったことがわかる。多くの友人たちに囲まれてちっとも孤独ではなかったろうと思っていたが、その中でたった一人治癒の見込みのない絶望のどん底にいたのだ。多くの友人がいても深い孤独の中にいた。それを思うと何も言葉がない。シューベルトの曲をじっと聴こう。
ボストリッジの本の20章に採り上げられた曲も聴けるようにした。
全詩の内容 close
印の意味。
恋人や恋愛に関するもの…◯
死や孤独、疎外に関連するもの…⚫️
どちらともいえないもの…△
どちらともいえるもの…◎
番号はシューベルトの並びの番号とした。題名は「冬の旅 24の象徴の森へ」によった。
シューベルトの『冬の旅』
題 名 |
印 |
詩 の 内 容 |
01. Gute Nacht おやすみ |
◯ |
結婚まで約束した恋人のところを去る |
02. Die Wetterfahne 風見鶏 |
◯ |
心変わりした恋人は金持ちの花嫁になる |
03. Gefrorne Tranen 凍った涙 |
△ |
凍った涙に気付く |
04. Erstarrung 凍てつく野 |
◯ |
恋人と緑の野を歩いた跡を探す |
05. Der Lindenbaum 菩提樹 |
⚫️ |
喜びも悲しみも分かち合った思い出の木の本を去る |
06. Wasserflut あふれ流れる水 |
◯ |
小川が涙を運び熱くたぎる所が恋人の家だ |
07. Auf dem Flusse 河の上で |
◯ |
凍った河の上で恋人の名と日付を刻む |
08. Ruckblick 振り返り |
◯ |
町に来た時と恋人を振り返りもう一度恋人の家の前に立ちたい |
09. Irrlicht 鬼火 |
⚫️ |
どの道でも目的地に着く、すべては鬼火の戯れ |
10. Rast 休み |
△ |
炭焼き小屋で寝るが休まることがない |
11. Fruhlingstraum 春の夢 |
◯ |
春の夢と恋人と口づけの夢を見るが雄鶏の声と共に現実に戻る |
12. Einsamkeit 孤独 |
⚫️ |
明るく楽しげな人々や情景の中を惨めに一人歩く |
|
|
|
13. Die Post 郵便馬車 |
◯ |
郵便馬車のラッパの音で恋人の町を想う |
14. Der greise Kopf 白髪 |
⚫️ |
老人になって棺に入るのを願う |
15. Die Krahe カラス |
⚫️ |
付きまとうカラスに墓までついてきて餌食にしろと言う |
16. Letzte Hoffnung 最後の希み |
⚫️ |
一枚の葉に希をかけるがその葉も落ちる |
17. Im Dorfe 村で |
⚫️ |
吠える犬。村人は欲深い夢を見るが自分は夢を見つくした |
18. Der sturmische Morgen 嵐の朝 |
⚫️ |
ちぎれ雲が流れる朝焼けの嵐の空は荒れた私の心だ |
19. Tauschung 惑わし |
◯ |
明るく温かい家と恋人を見せてくれる惑わしにかかりたい |
20. Der Wegweiser 道しるべ |
⚫️ |
旅人の通らない道を探し誰も帰らない道を示す道しるべに出会う |
21. Das Wirtshaus 宿屋 |
⚫️ |
墓地に休もうとするが拒まれ再び旅を続ける |
22. Mut 勇気 |
△ |
元気に歌い陽気に世の中へ行こう、神がいないなら神になろう |
23. Die Nebensonnen 幻の太陽 |
◎ |
最良の2つの太陽は沈みもう1つも沈んでしまえ |
24. Der Leiermann 辻音楽師 |
⚫️ |
誰も無視するライアー回しに出会う。私の歌に合わせてくれるかと問う |
冬の旅の調 close
「冬の旅」の調
歌 |
自筆譜 |
1. おやすみ Gute Nacht |
ニ短調 |
2. 風見の旗 Die Wetterfahne |
イ短調 |
3. 凍った涙 Gefror'ne Thränen |
ヘ短調 |
4. 氷結 Erstarrung |
ハ短調 |
5. 菩提樹 Der Lindenbaum |
ホ長調 |
6. 溢れる涙 Wasserfluth |
嬰ヘ短調 → ホ短調 |
7. 川の上で Auf dem Flusse |
ホ短調 |
8. 回想 Rückblick |
ト短調 |
9. 鬼火 Irrlicht |
ロ短調 |
10. 休息 Rast |
ニ短調 → ハ短調 |
11. 春の夢 Frühlingstraum |
イ長調 |
12. 孤独 Einsamkeit |
ニ短調 → ロ短調 |
13. 郵便馬車 Die Post |
変ホ長調 |
14. 霜おく頭 Der greise Kopf |
ハ短調 |
15. 烏 Die Krähe |
ハ短調 |
16. 最後の希望 Letzte Hoffnung |
変ホ長調 |
17. 村にて Im Dorfe |
ニ長調 |
18. 嵐の朝 Der stürmische Morgen |
ニ短調 |
19. まぼろし Täuschung |
イ長調 |
20. 道しるべ Der Wegweiser |
ト短調 |
21. 宿屋 Das Wirthshaus |
ヘ長調 |
22. 勇気 Mut |
イ短調 |
23. 幻の太陽 Die Nebensonnen |
イ長調 |
24. 辻音楽師 Der Leierman |
ロ短調 → イ短調 |
年表 close
年 |
社会状況 |
ミュラー |
シューベルト |
1789 |
フランス革命 |
|
|
1794 |
|
10/7ドイツ、侯国アンハルト・デッサウに仕立職人の家に生まれる |
|
1797 |
|
|
1/31ヴィーン、リヒテンタールに教師の家に生まれる |
1800 |
ベートーヴェン交響曲1番 |
6歳、ハウプトシューレ入学 |
|
1804 |
ナポレオン、皇帝に即位ベートーヴェン交響曲3番 |
|
|
1805 |
アウステルリッツ三帝会戦でオーストリア・ロシアがナポレオン軍に敗れる、ウィーン占領 |
|
|
1807 |
侯国アンハルト・デッサウ、ライン同盟に加わりフランスに従属 |
|
|
1808 |
ベートーヴェン交響曲第5番 |
14歳、母没 |
11歳、ヴィーン宮廷少年合唱団に入団、寄宿学校コンヴィクトに入学、寮のオーケストラに参加 |
1809 |
ナポレオン再びウィーン占領ハイドン没 |
15歳、父再婚 |
|
1810 |
|
|
13歳、初めて4手のピアノのための幻想曲作曲 |
1812 |
ナポレオン、ロシアで敗退。プロイセンでフランス占領軍に対する解放戦争始まる |
18歳、ベルリン大学入学 |
15歳、宮廷楽長サリエリに作曲を習い始める、母没 |
1813 |
ライプツィヒでフランス軍敗れる。ウーラント「さすらい人の歌」出版 |
19歳、解放戦争の志願兵になる、グロースゲルシェンの戦い、パウツェンの戦い、クルムの戦い、プラハ、オランダ、ブリュッセルへ |
16歳、コンヴィクト終了、王室普通上級学校で教員養成所に通う、父再婚 |
1814 |
ナポレオン退位エルバ島追放王政復古。ウィーン会議開始 |
20歳、ブリュッセルでユダヤ人既婚者と推定されるテレーゼと恋愛、ベルリンに戻る。 |
17歳、普通上級学校卒業。父親の勤める学校の助教員になる「糸を紡ぐグレートヒェン」「ミサ曲D105」をテレーゼ・グローブ歌う |
1815 |
ナポレオン、エルバ島脱出ワーテルローの戦いで敗北、セントヘレナ島流刑、ウィーン会議終結 |
21歳、大学生活再開、友人の妹ルイーゼ・ヘンゼルと交際、古典文献学、ゲルマン研究に専念。 |
18歳、「野ばら」「魔王」 |
1816 |
|
22歳、ブレンターノの出現でルイーゼに失恋、シュテーゲマン家で劇「美しき水車屋の娘」演じる5篇 |
19歳、サリエリの証明書をつけてライバッハの音楽教師のポストに求職するが失敗「万霊節の連祷」「竪琴弾きの歌」「さすらい人」 |
1817 |
|
23歳、男爵ザックの研究旅行に随伴。ウェーバー訪問、ギリシャへ行く予定がペスト流行で中止となりイタリアへ向かう。男爵と決別。 |
20歳、フォーグルを紹介される「死と乙女」「ます」「楽に寄す」 |
1818 |
|
24歳、ローマ、フィレンツェ、ヴェローナ、ミュンヘン、ドレスデンに戻る。 |
21歳、ロッサウ転居。以降両親の生活から離反、エステルハージ家のレッスンに招聘される「軍隊行進曲」 |
1819 |
カールスバート決議で自由主義・国民主義の抑圧・検閲 |
25歳、大学を正式に卒業していないため、デッサウの代用教員になり、副業で図書館員となる。 |
22歳、「プロメテウス」「ピアノ五重奏ます」 |
1820 |
|
26歳、「ローマ・ローマ人」全2巻を出版。世に知られる。父没。「旅する角笛吹きの遺稿より77の詩」出版(美しき水車屋の娘全25篇を含む) |
23歳、友人のゼンとともに一時逮捕される「ラザルス」「魔法の竪琴」 |
1821 |
オスマントルコに占領されていたギリシャが独立戦争を始める。ウェーバー魔弾の射手 |
27歳、5月デッサウの参事官バゼドウの娘アーデルハイトと結婚。10月「ギリシャ人の歌」出版。ギリシャを讃える。「ロード・バイロン」「永遠のユダヤ人」「冬の旅」執筆 |
24歳、シューベルティアーデ始まる「ズライカ」「ミニョン」 |
1822 |
|
「ギリシャ人の歌」第2巻出版「新ギリシャ人の歌」 |
25歳、ヴェーバーとヴィーンで面会。病気に感染「僕の夢」「未完成」「さすらい人幻想曲」 |
1823 |
ベートーヴェンミサソレムニス |
29歳、「冬の旅」第1部出版。 |
26歳、数日間総合病院に入院。「夜と夢」「美しき水車屋の娘」「ロザムンデ」 |
1824 |
バイロン、ギリシャで病死 |
30歳、「冬の旅」第2部を含む完成版出版。宮廷顧問官に任命される。 |
27歳、エステルハージ家の音楽教師に、「夕映に」「弦楽四重奏曲ロザムンデ」「弦楽四重奏曲死と乙女」「八重奏曲」 |
1825 |
|
|
28歳、フォーグルとオーストリア州旅行「若き尼」 |
1826 |
ウェーバー没 |
32歳、百日咳にかかる、ジモリンとフランツェンスパートに湯治、デッサウ劇場監督に「13番目」ウラニアに掲載 |
29歳、宮廷副楽長とケルンテン門劇場の副指揮者に応募するがどちらも失敗、「春に」「シルビアに」「弦楽四重奏曲15番」 |
1827 |
ベートーヴェン没 |
33歳、心気症のようなもので苦しむ、南西ドイツ旅行。ケルナー、ウーラントを訪問。ミュラー作品の出版をするシュヴァープと面会。冷淡なゲーテと面会。10/1死亡、小説「デボラ」ウラニアに掲載 |
30歳、4月「冬の旅」第1部を見つけ作曲始める。10月第2部を見つけ作曲開始。「即興曲」「ドイツ・ミサ曲D872」 |
1828 |
|
|
31歳、「冬の旅」第1部楽譜出版。兄フェルディナントの家に同居。11/19死亡。12月第2部楽譜出版。「ミサ曲D950」「弦楽五重奏曲」「3大ピアノソナタ」「交響曲グレート」「白鳥の歌」 |
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「冬の旅」について
記録(1) , 記録(2) , 記録(3) , 記録(4) , 記録(5) , 記録(6)
ヴィルヘルム・ミュラーとシューベルト 年表 Wilhelm Müller, Franz Schubert, chronological table
1 おやすみ 冬の旅 Gute Nacht Winterreise / Schubert
2 風見 冬の旅 Wetterfahne Winterreise / Schubert
3 凍った涙 冬の旅 Gefrorne Tränen Winterreise / Schubert
4 凍結 冬の旅 Erstarrung Winterreise / Schubert
5 菩提樹 冬の旅 Der Lindenbaum Winterreise / Schubert
6 あふれ流れる水 冬の旅 Winterreise / Schubert
7 流れの上で 冬の旅 Auf dem Flusse Winterreise / Schubert
8 かえりみ 冬の旅 Rückblick Winterreise / Schubert
9 鬼火 冬の旅 Irrlicht Winterreise / Schubert
10 休息 冬の旅 Rast Winterreise / Schubert
11 春の夢 冬の旅 Frühlingstraum Winterreise / Schubert
12 孤独 冬の旅 Einsamkeit Winterreise / Schubert
13 郵便馬車 冬の旅 Die Post Winterreise / Schubert
14 霜雪の頭 冬の旅 Der greise Kopf Winterreise / Schubert
15 カラス 冬の旅 Die Krähe Winterreise / Schubert
16 最後の希み 冬の旅 Letzte Hoffnung Winterreise / Schubert
17 村で 冬の旅 Im Dorfe Winterreise / Schubert
18 嵐の朝 冬の旅 Der stürmische Morgen Winterreise / Schubert
19 惑わし 冬の旅 Täuschung Winterreise / Schubert
20 道しるべ 冬の旅 Der Wegweiser Winterreise / Schubert
21 宿屋 冬の旅 Das Wirtshaus Winterreise / Schubert
22 勇気 冬の旅 Mut Winterreise / Schubert
シューベルト 歌曲全集 ディスカウ Alle Lieder / Schubert
23 幻日 冬の旅 Die Nebensonnen Winterreise / Schubert
24 ライアー回し 冬の旅 Der Leiermann Winterreise / Schubert
シューベルト 歌曲全集2 Lieder / Schubert
ピアノソナタ全集 Piano Sonatas / Schubert
弦楽四重奏曲全集 String Quartets / Schubert
弦楽五重奏曲 String Quintet D956 / Schubert
死と乙女 Der Tod und das Mädchen D531 / Schubert
音楽に An die Musik D547 / Schubert
夜と夢 Nacht und Träume D827 / Schubert
春に Im Frühling D882 / Schubert
弦楽四重奏曲第15番 String Quartet 15 D887 / Schubert
ピアノソナタD960 Piano Sonata D960 / Schubert
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diary 2024-3-19(火) 月齢6.7 晴れ
リリングのバッハ・カンタータBWV130、131、132、133、134、135、136、137、138、139、シフのピアノでバッハ・インヴェンションを聴く。
トラブルスピーカーKEF LS50 Wireless II は正常に聞けた。
「冬の旅 20 道しるべ」をアップ。シューベルトの最後の5年間に思いを巡らした。ただただシューベルトを聴こう。