シューベルト 「冬の旅」についての記録(4)

シューベルトの「冬の旅」についての記録4。ライアーマンが死神とする説や憂愁、さすらいなどに焦点を当てた。石井誠士著「シューベルト 痛みと愛」は特に印象深い。

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21 音楽家としての死 「冬の旅」 (2008/4/10 )

(Graham Johnson P.107-L.11)その老人のよろめく姿は、寒さで凍えている、しかしそれはたぶん病気によるものでもあろう。(すべての音楽家の悪夢 ― 関節炎、複合的な硬化症、その他神経症の病気 ― おそらく梅毒による)これらのことからハーディーガーディー弾きは、我々が普段思っている死の象徴ではなくて、シューベルトの目や耳にはずっと悪いもの、すなわち生きながらの死(living death 悲惨な生活)、彼の場合、真の音楽のない生活の象徴のように思われる。死の控えの間にいる屈辱的な無能な長い期間の例として、シューマンとヴォルフの最晩年を見る必要がある。この音楽家たちによる最後の時期の音楽作品の失敗作には、ハーディーガーディーを弾く男の凍えてつかむ指を見つけることが出来る。

「辻音楽師」の歌詞を見ると、ハーディーガーディーを弾く老人は、死や死神というよりもきわめて人間的であるのに気付く。「こわばった指で回している」「裸足の足でふらふら行ったり来たりする」

ジョンソンは、梅毒に侵されたシューベルトが音楽の才能の枯渇と精神の錯乱を恐れていたと推測している。このライアーマンに自分の未来を重ね合わせたのだろうと言う。

(P.107-L.25)いったいこの音楽はどこから来たのだろう。たぶん未来だ。作曲家の未来なのだ。この歌は荒涼とした風景、未知の未来の投射なのだ。「ぼくはどうなるのだろう。」旅人は問う。「ぼくはあなたと行くことになるのだろうか。この音楽は、ぼくの詩にぴったり合う伴奏だろうか。」

そしてシューベルトは同じようなことを尋ねる。「この音楽は、いつか作曲するであろう音楽―調子もなく、和声もなく、すべてを欠いた音楽―なのであろうか。これは人生―少なくとも私の人生―がどのように終焉するかを表しているのだろうか。― 自分を音楽家と呼ぶあの貧しい路上の人々と同じように、音楽でないもの(non-music)へと墜落して?」

この歌曲集の初めで旅人は、自分が放浪の音楽乞食と同様のものを持っているとは想像できなかった、しかし今は…?気力(mighty)はなんと失墜したことか!

1822年の初めシューベルトは、いつか自分の音楽の能力が、ハーディーガーディー弾きの無能なドローン(低音の繰り返し)やよろめきと同じようなものを持つことになる状況を想像するとは思っていなかっただろう。自分の恐れていることを作品にすることで、精神の浄化を行ったのだろうと言う。1822年とは、その年の暮れにシューベルトが性病にかかったと推測されている年だ。

(P.108-L.20)最悪の悪夢を音楽にしてしまうと、退化性の病気の冬の霧によって氷に閉ざされたようなメロディーの枯渇した生活に、ぞっとすることが少なくなったかもしれない。彼は起こる可能性が少なくなったとさえ感じたかもしれない。私たちが知っているように、彼の場合は現実にならなかった。ライアーマンは、強力で忘れられない存在としてある。しかし、たとえ彼が死の姿であるとしても、彼には最後に音楽は与えられなかった。

旅人の質問「風変わりな老人よ、あなたと一緒に行こうか。私の歌にライアーの伴奏を付けてくれるかい?」に、旅人の答えは、はっきりしない"Yes"、そして作曲家の答えははっきりとした"No"のように思われる。「冬の旅」を書いた一年後、シューベルトは最後の曲、いわゆる「白鳥の歌」の最終曲を自分の表現方法で記した。「鳩の使い」だ。メロディーの奇跡、深い愛情と活気に満ちた曲。その美しさはおそらく胸を打つものだろう。しかし、それは優美で明瞭であり、病気や自己憐憫によって損なわれた形跡など全く残っていないのだ。

こう読んでくると、ライアーマンは、おそらく死や死神の象徴として登場しているのではないと説得させられる。

「冬の旅」の最後「辻音楽師」で主人公の長い旅は終わり、不安に脅かされ、嘆き、戸惑う現在が表出する。一方、共同体の中では、平和をむさぼる何事もない普段どおりの生活が営まれている。この終曲はやはりこの詩集、曲集の結論であると思う。この音楽の中に希望的展望は見つけられない。

「辻音楽師」はハーディーガーディーの空っぽの音楽が繰り返され、辻音楽師の様子が淡々と歌われる。そして最後の最後、心の中でこの老人に問うところで、すべての想いが表現されているように思われる。

「風変わりな老人よ、あなたと一緒に行こうか。私の歌にライアーの伴奏を付けてくれるかい?」

これからどんな人生が待っているのだろうという不安.。あんなに楽しそうな人々の中で、なぜ私だけがという嘆きこれから老人のような境遇(または死)に踏み出そうか、それとも…という戸惑い。最後の言葉は、むなしく解き放たれる。その言葉に、わずかに力が込められる。そこに涙する。温かいユリウス・パツァークの声は、何よりの励ましだ。

「君だけじゃないよ!」

参考

① CD WINTERREISE Matthias Goerne(bariton) Graham Johnson(pf) rec.1996 hyperion CDJ33030

② CD Winterreise Julius Patzark(tenner), Jorg Demus(pf) rec.1964 PREISER RECORDS 93067

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22 シューベルト、死の凝視 (2009/5/16)

弦楽四重奏曲ニ短調「死とおとめ」D.810(1824年)

石井誠士著「シューベルト 痛みと愛」(春秋社 1997)を図書館で見つけた。シューベルトの音楽を「死の凝視による生の充実」と見る。そこには、「癒しの原理 ホモ・クーランスの哲学」で示される石井氏自身の死生観が、シューベルトに投影されているように思われる。

この思想によって、「ラディカルなペシミズム」、否定性が、そのままで肯定性へと変わる。それは、生の有限性の徹底的な自覚と、「終末論的」自覚存在としての生の創造であった。ゴーダマブッダの「一切皆苦」と見る諦観の思想と繋がるように思った。非常に興味深く、心に響いた。

死の凝視の音楽として採り上げられている音楽の一つが、この弦楽四重奏だ。石井氏は、この曲でベートーヴェンの「運命」交響曲と対決したのだと言う。この死の四重奏曲において、シューベルトはふだんは避けているベートーヴェンとの対決をしながら書いていたようにも思われる。そして、彼は、この対決においてこそ、彼の音楽の深さと独立性とを明確に意識するのである。

第一楽章の開始は、ベートーヴェンのは短調交響曲の冒頭を思わせる。けれども、ベートーヴェンの「運命の問いかけ」の主題が弱強拍で始まって、強拍を延ばすのに対し、シューベルトの死の不可避性のテーマでは、強拍に始まって、終わりの音ははじけるように切れる。前者がウニソノで、最後は半終始であるのに対し、後者では、中間声部に下降するメロディがあって、最後は主音に落ち着く。ベートーヴェンは、問いを出しておいて、終局の勝利に向かって闘争し発展するが、シューベルトは、むしろ終わりは初めにあるのである。そして、音楽の展開は、その初めにある終わりを確認しながら、また初めのところへ帰る。

ベートーヴェンとシューベルトでは、音楽が違っている。ベートーヴェンでは、死は初めから問題になっていない!(p.309)

厳しい響きが突きささる。死の不可避性 。どんなに人困難に打ち勝とうとも、富や健康を誇ろうとも、人間は死に打ち勝つことはできない。ベートーヴェンでは、死が初めから問題になっていない、という言葉も印象的だ。

死の不可否性。

この冒頭は、結論であり、どんなに曲が展開しようと、つまりはこの響きに戻ってくる。ベートーヴェンとは音楽が違う。

アドルノは、シューベルトの終末論的な生をよく理解しているように思われる。この音楽は、ベートーヴェンの「苦しみを突き抜けて喜びへ」よりも、人に、生きる確かな希望を与える。なぜなら、現実の生の苦しみを越えて得る勝利は、結局、死に面して空虚であることが示されるのだからである。諦観とは、決して、挫折して諦めることではない。それは、むしろ、リアルに、変わりゆく現実において変わらぬものをみることを意味する。(p.311)

諦観の真の意味を明らかにする。リアルに、変わりゆく現実において変わらぬものをみること。変わりゆく価値やものごとに惑わされず、真に創造的生を創り上げてゆくこと。死という厳粛な事実を凝視して、そこから現実の生に対峙するという、終末論的な捉え方だ。

2楽章は、リート「死とおとめ」のメロディの変奏曲。

シューベルト愛用の強弱弱のダクテュルス。ここでのダクテュルスは、死の象徴か、死の不可避性への凝視か、それとも諦めなのか。シューベルトの存在の底に脈打つリズムであると同時に、グラハム・ジョンソンが言うように「自然の不可思議な諸力の運動エネルギー」を表している。(p.304)「冬の旅」では、第21曲「宿」で、このダクテュルスが聴かれる。

変奏曲というスタイルは、反復的・回帰的な形式で、シューベルトにふさわしいと言う。石井氏はシューベルトの音楽を、アドルノのシューベルト論を引いて、「死の風景」の中のさすらい、常に中心点から同距離にあると言うが、なるほどそれには変奏曲がふさわしく、その観点から観ると、シューベルトの音楽の長さや、劇的展開が音楽の中心ではないことが納得できる。それにしても素晴らしい変奏だ。ヴァイオリンの自由自在な動き、その高音の魅力はたまらない。弦はCDよりレコードの方が断然いい音がする。

参考

①CD : Schubert Complete String Quartets Leipziger Streichquartett rec.1994-97 MDG 30706002

②CD : Emerson String Quartet rec.1987 DG Trio Series 4770452 

③LP : Das Novak Quartett rec.1975? Intercord 185.806

④石井誠士「シューベルト 痛みと愛」春秋社 1997

⑤石井誠士「癒しの原理 ホモ・クーランスの哲学」人文書院 1995

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23 シューベルト、死の凝視(2)(2009/5/26 )

弦楽四重奏曲ニ短調「死とおとめ」D.810(1824年)

喜多尾道冬氏は「シューベルト」(音楽之友社1998)の中で、この曲についてこう述べている。

第一楽章は憤怒とも絶望ともつかぬ、絶体絶命の断崖に追いつめられた人間の絶叫をもって開始される。ここには、醜くゆがんだ恐ろしい形相の男が映し出されている。おそらくこれはシューベルトが日記に記している、「苦しみだけから生まれた」ような音楽に近いと言えるかもしれない。しかし、それでは人を真によろこばせるものとはならない。自分の醜い顔を直視するのは辛いことだし、また他人の余裕のないむき出しの顔を見せられてよろこぶものはいない。自分で受け入れることのできない顔は、他人も納得されるはずがない。どんな絶望の淵に立っていようと、また死の恐怖に直面していようと、人を愛する心を失わぬためには、まず自分と和解しなければならない。

シューベルトが弦楽四重奏曲<死と乙女>で実現しようとしているのは、自分の苦しみを直視しながらも、それをそのまま人に押しつけるのではなく、愛しうるものとして「変奏」し直す試みである。第二楽章の、同名のリートからの変奏はまさにそれに相当する。<死と乙女>そのものには、死の不気味な誘惑への恐れと、死への親しみの複雑なコンプレックスがあらわされていた。そしてここではその真相が変奏によっていく重にも、プリズム的に映し出されている。

死は不可解である。しかしその恐怖におびえ、せっぱつまった顔をさらすのではなく、死と馴染み、それと戯れることで、人間らしい品位と人を愛する心を取り戻すことができる。ここでは、死という人間にとって最大の恐怖も、親しみうる対象となって現前している。特に第四変奏の美しさは筆舌につくしがたい。ここから聴きとれるのは、本当に深い苦しみに苛まれながらも、人を愛することができるものだけが奏で出せる心の美そのものである。(p.214-215)

「死と馴染みそれと戯れる」とはどういうことかわからない。やはり、石井氏の、死の凝視による生の有限性の自覚と生の充実、と観る方がわかりやすい。

第2楽章は、第1変奏から素晴らしい。チェロのピチカートの主題の上を、清らかなヴァイオリンが自由自在に歌う。このヴァイオリンがいい!第2変奏はチェロとヴィオラが悲しく歌う。第3変奏は突然激しいリズムが始まって、そのエネルギーに圧倒される。せまり来る死の圧倒的な力だろうか。その後半、ホイトリングSQの演奏で気付かされたのだが、激しい荒々しいダクテュルスのリズムの中、ヴァイオリンとチェロが、交代に押し寄せる波のように決然と長く弾ききり、ぶつけ合う。その音の重なりは、崇高な塔がそびえ立つようで鳥肌が立つ。不可避の死という現実を前にして、それでも人間が決然と生きる崇高さを感じた。それと対比するように、第4変奏は長調に転じ、まるで天国にいるようだ。ヴァイオリンは、生の喜びを精いっぱい歌いさえずる鳥。美しい!第5変奏は短調に戻り、改めて人間の運命を思い知らされるが、これも感動的。コラール風の第6変奏で終わる。

第3楽章の二短調のリズミックなスケルツォ、ニ長調の穏やかなトリオを経て、「死者の舞踏」第4楽章プレスト二短調に突入する。

「死者の舞踏」は、石井氏によると、14世紀のペスト大流行の後、全ヨーロッパ的に急速に活気を呈した芸術現象であると言う。文学的には13世紀フランスに『三人の聖者と三人の死者との伝説』が成立している。それは、三人の高貴な騎士が狩猟の途上、森の中で三人の死者と出会うという物語である。死者たちは、彼らに、この世の無常を思い起こさせ、警告を発する。「我らの過去は汝らの現在、我らの現実は汝らの未来」と。14世紀以後、墓地や修道院の壁に夥しい数の死者が生者に戯れ踊る絵が描かれた。…それらの絵の一つには、説教している高僧の説教壇の前に座ってバッグパイプを奏でている骸骨が描かれている。保存されている輪舞そのものでは、いろんな地位の人たちと骸骨とのペアが非常に生き生きと、一つ一つ実に個性的に描かれている。死者は、何もできず立ちつくす生者を抱きしめたり、着物を引っ張ったり、足や手を?んだり、後ろから押したり、前から引きずったりなど、あらゆることをしている。輪舞は荒々しく、不気味である。

重要なことは、この芸術の理解である。「死者の舞踏」とは何か。「死者の舞踏」の芸術の意図しているものが、絵説きの「メメント・モリ」(死を想いみよ)であることは、確かである。死は、すべての人に平等に、不意に訪れる。聖人と俗人、高貴な者と卑賤な者、善人と悪人など、この世のすべての差異は関係ない。

骸骨の荒々しい舞踏のイメージは恐ろしい。それは死が、人間のこしらえるすべての虚飾と価値を嘲笑し、相対化することを表している。あらゆる人が「死者の舞踏」に服して、名誉や地位や権威や権利を剥奪されるのである。

人は、自らの死を思い、自らの罪を悔い改めて、初めて神に生きるようになる。死は、人が真に、つまり、不死の生命を生きるようになる根本契機である。「死者の舞踏」の芸術の成立には、いろんな要素があると思われるけれども、根本的には、人を内的な生に向け、信仰の真理への覚醒へと促すものであることは疑い得ない。(p.302-303)

この第4楽章のタランティラで死者が踊る。どこか滑稽で、不気味、せわしくて追い立てられているようだ。その激しいリズムがふっと途切れて、堂々とした旋律が現れる。死者たちの踊りの中に立ちつくす、人間だろうか。いや、この旋律は、何もできずただ立ちつくす哀れな人間ではない。死の恐怖に押しつぶされず、死者たちの踊りにも惑わされず、一歩一歩創造していく人間、それが描かれているのではないか。シューベルト自身だろうか。

やがてタランティラが忍びより、まとわりつき、ついには死者の舞踏一色になる。15世紀初めの書「ボヘミアの農夫」という書物があるそうだが、そこで愛する妻を失った農夫は、神の前で死と論争を繰り広げる。最終的な神の裁きは、死は勝利を、人間は栄誉を受け取るというものだったという。

コーダは、死者の舞踏がものすごい速さで最高潮に達し事切れる。このような手に汗握るコーダは、シューベルトの音楽では珍しいのではないか。死や病は生の中にもともと内在している。死のない生はない。

人間は、死につつ生きている、という事実を常に自覚し、生を充実させよ、創造的であれ、と教えてくれているようだ。それはシューベルトが自分自身に言い聞かせていた想いなのかもしれない。

この弦楽四重奏は、すべて短調で書かれマイナスのイメージが付きまとうが、この思想によって、陰鬱なものがそのままで生の推進力へ、否定性から肯定性へと姿を変えていく。1824年のシューベルトの、自らの死を想い、凝視し、そこから改めて創造的になっていく姿が思い浮かぶ。現代、不治の病を宣告された患者とオーヴァーラップする。病を持たずとも、死は必ず誰にでもやってくる。メメント・モリ(死を想いみよ)

残された数年間をシューベルトは真剣に悩み、真剣に生き、真剣に創造していったのだろう。そのように心の奥深いところから生まれた音楽は、真に感動させずにはいられない。これは本当にすごい音楽だ。

参考

①CD : Schubert Complete String Quartets Leipziger Streichquartett rec.1994-97 MDG 30706002

②CD : Emerson String Quartet rec.1987 DG Trio Series 4770452 

③LP : Das Novak Quartett rec.1975? Intercord 185.806 (このページの画像)

④石井誠士「シューベルト 痛みと愛」春秋社 1997

⑤石井誠士「癒しの原理 ホモ・クーランスの哲学」人文書院 1995

⑥喜多尾道冬「シューベルト」朝日新聞社 朝日選書584 1997

⑦CD : ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 rec.1950-53 ユニバーサル・ミュージック LCCW-3004/9

⑧CD : ウィーン弦楽四重奏団 rec.1981 CAMERATA CMCD-99012-17

⑨CD : Quatour Heutling rec.1968-71 EMI Music France 7243 4 71942 2 1

⑩CD : Melos Quartett rec.1974 Grammophon 463 151-2

⑪LP : イタリア弦楽四重奏団 rec.1965 日本フォノグラム 13PC-115

⑫LP : ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団 rec.? キングレコード SLC 6100

⑬LP : スメタナ四重奏団 rec.1978 DENON OX-7151-ND

⑭LP : アルバン・ベルク四重奏団 rec.1984 東芝ENI EAC-60252

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24 シューベルト、憂愁(1)1824年 (2009/6/11 )

弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」D.804(1824年)

私のやすらぎは去り、こころは重い、もう決して、決して、やすらぎは見出せない…

1814年、17歳のシューベルトは「糸を紡ぐグレートヒェン」を作曲した。シューベルト1824年3月31日付けクーペルヴィーザー宛ての手紙に、この詩が繰り返される。

… 一言すれば、ぼくはこの世で一番不幸で惨めな人間のような気がする。もう二度と健康体に戻れない人間、それゆえに何でも良く考える代わりに、悪くばかりとってしまう人間、どんな希望も無残に打ち砕かれてしまった人間、どんな愛や友情も苦痛の種にしかならない人間、美に寄せる(少なくともそれを鼓舞してくれる)感激も風前の灯となってしまった男のことを思ってみてほしい。そして、これ以上惨めで不幸な人間がいるかどうか考えてみてほしい。

―「私の安らぎは消え、わたしのこころは重い、もう二度と安らぎは戻ってこない」―

今は毎日でもこう歌えるような心境だ。毎晩寝床に入るたびに、もう二度と目覚めることがないように願い、朝目がさめると、生きている苦い思いだけが感じられる。こんな風に毎日、よろこびも友人もなく過ごしている。それでもときにはシュヴィントが訪ねてきてくれると、以前のたのしかった日々のことが思い出されるのだが。(参考②P210)

この手紙が書かれた時期に弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」D.804と「死とおとめ」D.810 が作曲された。

弦楽四重奏「ロザムンデ」の第一楽章は、「糸を紡ぐグレートヒェン」のピアノ・パートを連想させる。同じ雰囲気だ。… 憂愁 …この手紙の「糸を紡ぐグレートヒェン」の引用とこの弦楽四重奏とは何か密接な関連があるような気がしてくる。

シューベルトの1824年はどういう年であったかを見てみると次のようになる。

1822年--------------------------------------------------------

 2月

     オペラ「アルフォンソとエストレッラ」完成

 7月

     7月3日「僕の夢」が書かれる

     夏の間、友人の幾人かとしっくり行っていない、フォーグルと疎遠 

     秋 ミサ曲変イ長調D.678完成

 10月

     「未完成」に着手

 11月

     「さすらい人幻想曲」D.760

     フォーグルのピアノ伴奏者シェルマンの記念帳に「酒、娘、歌を愛さないものは一生の不作。マルティーン・ルター」と記す

     この年の終わりころ病気に感染

 12月

     ロッサウの父親の学校に戻る

1823年--------------------------------------------------------

     この年の初め病気が重くなり父の家から一歩も出られなくなる

 4月

     ジングシュピール「謀叛人たち」D.787に取りかかる

 5月

     数日間ウィーンの総合病院に入院

     詩「ぼくの祈り」を書く

      「… 殺せ命を、また我をも殺せ、すべてをレーテの川に投げ捨てよ、

       そして、大いなる父よ、清らかにして力強き有を生ぜしめよ。」(参考①P.296)

     「美しき水車小屋の娘」D.795に取りかかる

 7月

     7月末、フォーグルと上オーストリアに出かける

 9月

     半ば、ウィーンに帰る、ヨゼフ・フーバーと同居

     オペラ「フィエブラス」D.795 完成

 10月

     ヴェーバーのオペラ「オイリアンテ」を観、ヴェーバーに「魔弾の射手」の方が好きだという

 11月

     ローマに旅立つクーペルヴィーザーの送別会に病気で参加できず

     ショーバーへの手紙で「健康状態は落ち着く」と書く

     「ロザムンデ」D.797の依頼

 12月

     「ロザムンデ」初演、2日間で打ち切り

     シューベルトは発疹のため髪を刈りカツラをつけている(シュヴィントからショーバーへの手紙12/22、24)

     31日仲間うちのパーティーにベルンハルト博士と出席

1824年--------------------------------------------------------

     「ピアノとフルートのための変奏曲」D.802、弦楽四重奏曲イ短調「ロザムンデ」D.804、ニ短調「死とおとめ」D.810、八重奏曲D.803

 2月

     カツラをやめ、ひな鳥のようなかわいい産毛の頭が丸見え(シュヴィントからショーバーへの手紙2/22)

 3月

     14日シュパンツィクの予約演奏会で弦楽四重奏曲イ短調「ロザムンデ」D.804を初演

     25、27、28、29日の日記

      「他人の痛みを理解する人は一人もいない。他人の喜びを理解する人も一人もいない!

      人は常に互いのところに行ける、と信じているだけで、実際はただ平行線を進んでいるだけだ。

      ああ、このことを認識した者は、なんとつらいことか!」(参考①P.225)

     31日クーペルヴィーザー宛の手紙「この世で一番不幸で惨めな人間」

 4月

     心身ともにとても不安定な状態

 5月

     25日ハンガリーに出発、ツェレスのエステルハージ家で音楽教師として夏を過ごす

 9月

     詩「民衆に訴える!」(ショーバー宛の手紙9/21)

      「ああ、我らの時代の青春よ、汝はもう終わった!

       … 皆、意味もなく通り過ぎて行く。

       … ただ、ああ、聖なる芸術よ、汝のみにはなお許されている、

       … 大いなる痛みをほんのわずかでも和らげることが。」(参考①P.248-9)

 10月

     16日ツェレスを立つ。ロッサウの父の学校に戻る。

 11月

     喜びと苦痛と愉快な生活で若返り、体調も良く浮かれている(シュヴィントからショーバーへの手紙11/8)

     アルペジョーネ・ソナタD.821

1823年の初めに病気の症状が現れ、一時入院。「美しき水車小屋の娘」劇音楽「ロザムンデ」を完成後、翌年1824年の前期まで発疹のためカツラをかぶっていた。シューベルトには多くの友人たちがいたけれども、他人の苦しみやよろこびをわかるものはだれもいない!と言っている。弦楽四重奏曲 D.804 と D.810 が書かれたこの時期は、たいへん辛い時期であったことが分かる。

参考

①石井誠士「シューベルト 痛みと愛」春秋社 1997

②喜多尾道冬「シューベルト」朝日新聞社 朝日選書584 1997

③チャールズ  オズボーン「シューベルトとウィーン」岡美和子訳 音楽之友社1995

④前田昭雄「シューベルト」春秋社 2004

弦楽四重奏曲イ短調「ロザムンデ」

⑤CD : Melos Quartett rec.1974 Grammophon 463 151-2(掲載画像)

⑥CD : Emerson String Quartet rec.1987 DG Trio Series 4770452 

⑦CD : Schubert Complete String Quartets Leipziger Streichquartett rec.1994-97 MDG 30706002

⑧CD : ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 rec.1950-53 ユニバーサル・ミュージック LCCW-3004/9

⑨CD : ウィーン弦楽四重奏団 rec.1981 CAMERATA CMCD-99012-17

⑩CD : Quatour Heutling rec.1968-71 EMI Music France 7243 4 71942 2 1

⑪LP : イタリア弦楽四重奏団 rec.1976 日本フォノグラム X-7746

⑫LP : アルバン・ベルク四重奏団 rec.1984 東芝ENI EAC-60252

⑬LP : 付帯音楽「ロザムンデ」全曲 ミュンヒンガー指揮ウィーンフィル rec.1974 ロンドンレコード L18C 5059

⑭CD : 「糸を紡ぐグレートヒェン」 チェリル・ステューダ―(Sop)、アーウィン・ゲージ(Pf) 録音1992 グラモフォン POCG-1688

⑮CD : "Gretchen an Spinnrade"D.118 Marie Mclaughlin (Sop) Graham Johnson (Pf) rec.1990 hyperion CDJ33013

⑯CD : 「ギリシアの神々」フィッシャー=ディスカウ(Br)、ムーア(Pf) rec.1966-72 グラモフォン FOOG 29097/118 

⑰CD : "Die Gotter Griechenlands"D.677 Thomas Hampson(Br) Graham Johnson (Pf) rec.1991 hyperion CDJ33014

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25 シューベルト、憂愁(2)弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」(2009/6/13 )

弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」D.804(1824年)

石井誠士氏は憂愁を実存に本質的な情調と言う。

憂愁は、心理学者や精神科医は扱えない。心理学や精神医学の対象化に先立つ主体、実存のことだからである。19世紀は、人間の存在の底のこの憂愁を発見した世紀であるが、シューベルトは、キェルケゴールの『不安の概念』よりも30年も前にこれをはっきりと捉えて表現したのである。

それは、変化する感情ではなく、むしろ実存に本質的な情調、気分である。アドルノが19世紀の風景画に関連させて、「無時間的に自己同一を保つものにおいて、変化はするが、変化が支配的になることはないもの」と言ったものである。ここでは、それは、ゲーテの劇詩のグレートヒェンが示す本質的な気分と一致しながら、さらにそれをも越えて、深く人間の存在そのものの痛みに根ざす閉じたこころ、永遠、不死の意識を表している。

永遠は失われたものである。しかし、それは単に不在なのではない。それは意識の底に隠れて常に現在している。この同時に不在し現在する永遠の意識が憂愁である。この個人的でありながら、同時に、個人を越えた存在の気分をシューベルトのように透徹的に見据えて言葉にした人は、稀である。(参考①P.156)

「無時間的に自己同一を保つものにおいて、変化はするが、変化が支配的になることはないもの」とはどういうことか。「無時間的に」…「時間には関係なく、常に」「自己同一を保つものにおいて」…「常に自覚的に生きる人において」「変化はするが、変化が支配的になることはないもの」…「変化はするが、本質的には変わらないもの」ということだろうか。組み合わせると「常に自覚的に生きる人において、変化はするが、本質的には変わらないもの」ということになるが。

大体「実存」という言葉が良く分からないから、広辞苑で引く。「特に人間的実存を意味し、自己の存在に関心をもつ主体的な存在、絶えざる自己超克を強いられている脱自的存在をいう。自覚存在。」さらに「実存主義」の項。「人間の本質ではなく個的実存を哲学の中心におく哲学的立場の総称。科学的な方法によらず、人間を主体的にとらえようとし、人間の自由と責任とを強調し、悟性的認識には不信をもち、実存は孤独・不安・絶望につきまとわれていると考えるのがその一般的特色。」

総合的に考えると、「自覚的に生きる人において、本質的に変わらず、常につきまとわれているもの」が「憂愁」ということになるだろうか。

リート「糸を紡ぐグレートヒェン」の、単調な糸車の回転と紡織機のペダルを表すピアノは始終鳴り続ける。「これに乗って、高まっては沈み、進んでは元へ帰るグレートヒェンのモノローグが紡ぎだすのは糸ではなく、ため息であり、不安な重いこころである。」「私の安らぎは去り、私のこころは重い」と歌う。

1824年の弦楽四重奏曲イ短調の始まりは、少し変形されてはいるが、この糸車の回転が紡ぎだす音とそっくりだ。前記の1824年3月31日付けの手紙に書かれたグレートヒェンの引用からも、やはりこの曲は「糸を紡ぐグレートヒェン」と関連するものがあるだろう。ヴィオラとチェロが下の方で、持続する付点二分音符と細かな震え16分音符の刻みを入れてくる。これもまた重く、持続的に響いて、印象的だ。

ヴァイオリンが静かに哀しみを歌いだす。短調の主題がゆったりと歌われる。すると、それは不意に長調に転じ、哀しみはそのまま高貴な憧れへと変化してしまう。なんと美しい憧れなのだろう。

1822年7月3日付けの「僕の夢」という詩に書かれた言葉が思い出される。

   ぼくが愛を歌おうとしたら、愛は痛みになった。

   そこでこんどは痛みを歌おうとしたら、痛みは愛になった。

   かくして愛と痛みとがぼくのからだを引き裂いた。

憧れは不安なこころへと戻り、さらに高い高い憧れへ、そして憂愁は常に戻ってくる。

第2楽章は、ロザムンデのあの優しいメロディ。長短短のダクテュルスが含まれる。ほっとする。

第3楽章は、チェロが主題を呼び出すかのよう始まる。リート「ギリシアの神々」D.677 から取られたという。リートは「美しい世界よ、お前はどこに?」と始まるが、最初の音型と落ち着いて古典的な物哀しい雰囲気が似ている。ギリシア、古典、透明な世界へと連想させる。落ち着いた古典舞曲の中にそこはかとなく哀しみが漂う。

第4楽章は大好きな曲だ。ハンガリーの民族舞曲風の楽しい音楽が始まる。1楽章「私の安らぎは去り、私のこころは重い」も、3楽章「美しい世界よ、お前はどこに?」も、そんな哀しみは一体どこに行ってしまったのだろうか。なんとリズミックで楽しいことだろう!本物の楽しさとはこういうものではないか、と思った。その楽しさは、その根に深い哀しみが支えているのだ。その前の全楽章の想いをその根底に置いて、歌っているのだ。憂愁に押しつぶされず、それを無いことにしたり、避けたりせずに、それと付き合いながら、楽しみを見つけていく、そんな感じがした。シューベルトを聴くということは、その確認のような気がしてきた。

憂愁は語りえない、伝え得ない。しかも、音楽、シューベルトの音楽はそれを語る。アンビヴァレントである。しかし、それこそ、彼の音楽の本質をなすのである。かたちなきものがかたちにされるところに、芸術的な救い、癒しがある。

グレートヒェンに託されて歌われた閉じた「重いこころ」は『ハガールの嘆き』以来、彼がずっと追求するものであり、後に、交響曲ロ短調『未完成』(D.759)やピアノのための『楽興の時』(D.780)や『八重奏曲』(D.803)などにおいてさらに深められる。世界の痛み、存在そのものの痛みの表現である。

特に、後期の三大弦楽四重奏の最初の作品、『ロザムンデ』弦楽四重奏曲イ短調(作品29の1 D.804)は、その第二楽章のメロディの故にそう呼ばれるし、また、第三楽章メヌエットの動機はシラーの詩による『ギリシアの神々』(D.677「麗しい世界よ、どこに行ったか?」)に由来しているけれども、第一楽章が音楽的に明らかに『糸を紡ぐグレートヒェン』に関連していることからすると、これは全体として「グレートヒェン」四重奏なのである。(参考①P.158)

どれも素晴らしい演奏だったが、メロス・カルテット、イタリア・カルテットの演奏が特に印象に残った。

参考

①石井誠士「シューベルト 痛みと愛」春秋社 1997

②喜多尾道冬「シューベルト」朝日新聞社 朝日選書584 1997

③チャールズ・オズボーン「シューベルトとウィーン」岡美和子訳 音楽之友社1995

④前田昭雄「シューベルト」春秋社 2004

弦楽四重奏曲イ短調「ロザムンデ」

⑤CD : Melos Quartett rec.1974 Grammophon 463 151-2

⑥CD : Emerson String Quartet rec.1987 DG Trio Series 4770452 

⑦CD : Schubert Complete String Quartets Leipziger Streichquartett rec.1994-97 MDG 30706002

⑧CD : ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 rec.1950-53 ユニバーサル・ミュージック LCCW-3004/9

⑨CD : ウィーン弦楽四重奏団 rec.1981 CAMERATA CMCD-99012-17

⑩CD : Quatour Heutling rec.1968-71 EMI Music France 7243 4 71942 2 1

⑪LP : イタリア弦楽四重奏団 rec.1976 日本フォノグラム X-7746 (掲載画像)

⑫LP : アルバン・ベルク四重奏団 rec.1984 東芝ENI EAC-60252

⑬LP : 付帯音楽「ロザムンデ」全曲 ミュンヒンガー指揮ウィーンフィル rec.1974 ロンドンレコード L18C 5059

⑭CD : 「糸を紡ぐグレートヒェン」 チェリル・ステューダ―(Sop)、アーウィン・ゲージ(Pf) 録音1992 グラモフォン POCG-1688

⑮CD : "Gretchen an Spinnrade"D.118 Marie Mclaughlin (Sop) Graham Johnson (Pf) rec.1990 hyperion CDJ33013

⑯CD : 「ギリシアの神々」フィッシャー=ディスカウ(Br)、ムーア(Pf) rec.1966-72 グラモフォン FOOG 29097/118

⑰CD : "Die Gotter Griechenlands"D.677 Thomas Hampson(Br) Graham Johnson (Pf) rec.1991 hyperion CDJ33014

⑱作曲家別名曲解説ライブラリー⑰「シューベルト」音楽之友社 1994

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26 シューベルト、さすらい(1)「さすらい人」D.489(1816年以降)(2009/8/16)

「冬の旅」「美しき水車小屋の娘」は「さすらい」がテーマの一つだろう。石井誠士氏は「さすらい」について次のように述べている。

「さすらい」 Wandern 漂泊は、ほんとうは、人類の原初からのテーマと言える。故郷の親のもとを後にし、修業遍歴して、また故郷の親のもとに帰るということは、洋の東西を問わず、古来、人間の成長と自己形成の基本的なことと考えられた。新約聖書の中のいわゆる「放蕩息子」の喩え話もその一つである。詩人や音楽家も、昔からよく旅をした。そして、…「さすらい」は、近代ドイツ文学の核心的なテーマをなした。(資料①P268)

シューベルトは友人の家を転々としてさすらい、孤独、憂愁、寂寥をテーマをとする曲を書いた。シューベルトの「ぼくは、ときどき、もう全くこの世界に属していないような気がする」は、おそらく、特殊な状況で出た言葉だ、と思われる。そうだとしても、確かに彼の疎外の意識を表している。彼は決して単にある集団の中だけでなく、「カネヴァス」の親しい友人たちの共にあっても、よそ者、エトランジェ、つまり「さすらい人」なのである。(資料①P.268)

カネヴァスとは、シューベルティアーデに集まったシューベルトの親しい友人たちの集まりを指す。親しい友人たちに囲まれながら、やはり孤独であった。特に病気にかかってからはいっそう。

1824年3月27日の日記

誰も他人の苦痛を、そして誰も他人の喜びを、理解しない!ひとはいつも出会おうとして、いつもすれ違っている。おお、これを認識したものの苦しさ!ぼくの作品は音楽への能力とぼくの痛みによって生まれている。このうち痛みだけから生まれたものは、世を喜ばせることが一番少ないようだ。(資料②P.288)

疎外感、孤独感、憂愁、憧れ、これらは「さすらい人」と共にある。シューベルトの「さすらい」をテーマにした作品を年代順に聴いてみる。

①D.224「さすらい人の夜の歌Ⅰ」ゲーテ詩(1815年7月5日)

②D.489「さすらい人」シュミット・フォン・リューベック詩(1816年10月以降)

③D.649「さすらい人」フリードリヒ・フォン・シュレーゲル詩(1819年2月)

④D.768「さすらい人の夜の歌Ⅱ」ゲーテ詩(1824年7月以前)

⑤D.870「さすらい人が月に寄せて」ザイドル詩(1826年)

① D.224「さすらい人の夜の歌Ⅰ」Wandrers Nachtlied, Johann Wolfgang von Goethe ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ詩、ジャネット・ベーカー&ジョンソン盤、ディスカウ&ムーア盤で聴く。

穏やかな癒しの音楽で始まる。癒してくれる夜への感謝。「ああ、努力することに倦んだ!喜び悲しみがどうしたというのだ?」でさざなみが立つ。そして、安らぎへの希求。さすらい人の、疲れ果て、何もかもがどうでもよくなり、ひたすら安らぎを求める姿が浮かぶ。

② D.489「さすらい人」 Der Wanderer, Schmidt von Lubeck シュミット・フォン・リューベック詩、クリストファー・モルツマン&ジョンソン盤、ディスカウ&ムーア盤で聴く。

この曲は「魔王」と共に当時よく歌われた歌という。第2節のメロディが、「さすらい人幻想曲」に引用される。ゆったりと歌い始められる。「どこに」という問いかけが悲しく、寂しい。「さすらい人幻想曲」に引用された第2節は、世界は冷たく自分はどこへ行っても「よそ者」で安らぎを見出せない、と歌う部分だ。一転して第3節、第4節前半は、「理想の私の国」「私の居場所」を希望に満ちて高らかに歌う。そして「どこに」の悲しみが戻る。第5節後半は、地獄のように下ってゆき、容赦ない言葉「お前のいないところに幸せがある」とさらに下降する。短いピアノの後奏は、悲しみをたたえ、慰めるかのように終わる。

参考資料

①石井誠士「シューベルト 痛みと愛」春秋社 1997

②前田昭雄「シューベルト」春秋社 2004

③ペーター・ヘルトリング、富田佐保子訳「シューベルト 12の樂興の時とひとつの小説」同学社 2004

④CD:フィッシャー=ディスカウ&ムーア、シューベルト歌曲大全集 ポリドール

⑤CD:グレアム・ジョンソン(ピアノ)シューベルト歌曲大全集 ハイペリオン

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27 シューベルト、さすらい(2)「さすらい人の夜の歌Ⅱ」D.768(1824年7月以前)(2009/8/17)

③ D.649「さすらい人」Der Wanderer, Friedrich von Schlegel フリードリヒ・フォン・シュレーゲル詩、マティアス・ゲルネ&ジョンソン盤、ディスカウ&ムーア盤で聴く。

月の青い光が見えるような、明るく寂しいピアノがお供だ。すべては静かで穏やか、平和だ。たった一人ということはこのような風景、このような音にちがいない。たった一人で夜空を照らす月とさすらい人がオーヴァーラップしているのだろう。

④ D.768「さすらい人の夜の歌Ⅱ」Wandrers Nachtlied Ⅱ, Johann Wolfgang von Goethe ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ詩、クリストファー・モルツマン&ジョンソン盤、ディスカウ&ムーア盤で聴く。

静かな夜がやってくる。安らぎの訪れ。夜は死でもあるのだと思う。安らかな死への希求だろうか。この響きの中に永遠にひたっていたい。

⑤ D.870「さすらい人が月に寄せて」Der Wanderer an den Mond, Johann Gabriel Seidl ヨハン・ガブリエル・ザイドル詩、リチャード・ジャクソン&ジョンソン、ディスカウ&ムーア盤で聴く。

この歌は、前の4曲と違って、さすらいを続ける靴音が聞こえるような行進曲ふうのテンポだ。第1節、第2節は、悲しみを持ちながらも力強く歩き続けるさすらい人が描かれる。それに対して、第3節からはどこにいても故郷にいる月の幸せが歌われ、優しい風景になる。

「さすらい」を題名にもつそれぞれの歌から聴こえる想いを挙げてみる。

疲れ、安らぎへの希求、夜=死

孤独、憂愁、よそ者意識、憧れ、慰め

孤独、寂しさ、孤独の平和

疲れ、平和、癒し、安らかな死への希求

悲しみをもつ決意の歩み、故郷をもつ憧れ

参考資料

①石井誠士「シューベルト 痛みと愛」春秋社 1997

②前田昭雄「シューベルト」春秋社 2004

③ペーター・ヘルトリング、富田佐保子訳「シューベルト 12の樂興の時とひとつの小説」同学社 2004

④CD:フィッシャー=ディスカウ&ムーア、シューベルト歌曲大全集 ポリドール

⑤CD:グレアム・ジョンソン(ピアノ)シューベルト歌曲大全集 ハイペリオン

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28 シューベルト、さすらい(3)「さすらい人幻想曲」ハ長調 D.760(1822年)(2009/8/18)

石井誠士氏は、シューベルトのこの疎外感、よそ者意識、さすらい人のモチーフを追求するのが作家ペーター・ヘルトリングであると言う。彼は書いている。

「我々は無名のさすらい人に等しい。我々は、もはやどこかに到るためにさすらうのではない。我々は、霜が降り冷え切った世界の中で途上にある。我々は多くのことを知っている。ただ、我々に何が失われたかには、全く気づかない。それでも、我々はどこかに到ることを望んでいる」と。

確かに、「我々は多くのことを知っている」。科学と技術とは進歩した。けれども、私たちは、「何が失われたかには、全く気づかない」で、どこに行くかも解らないのに、「どこかに到ることを望み」ながら、まっしぐらに進んでいる。まるで、情報量の多さとその交換のスピードの速さとで、何か現代世界の疎外感が克服されるような、人と人との間の対話とかコミュニケーションとかが回復し、前時代より人間にふさわしい社会が現出するかのような恐ろしい錯覚に陥って、疑問を抱かなくなってしまっている。

実は、こういう世界の疎遠さ、異様さ、さらに、こういう世界の中の人間の疎外感、よそ者である感じも、前の時代とは比較にならないほど大きいのである。外への発展の成果が目覚しいだけに、内なる貧しさ、そして、孤独感も、深刻である。20世紀の実存思想につながるこの現代の孤独な「さすらい人」シューベルト像は、今日、非常に説得力がある。(資料①P271)

ヘルトリングの「シューベルト 12の樂興の時とひとつの小説」には、父との確執とシューベルトの精神的さすらいが描かれてもいる。「さすらい」について、石井氏は次のようにも語る。

過去の人間には、そこから出てそこへ帰っていく場所があった。神や家庭や故郷があった。しかし、個人の独立を意識した近代の人間にはそれが失われた。今日でも、人は、教会に行ったり、結婚したり、地域の人々と交わったりするであろう。しかし、人は、自分の心を落ち着ける場所を、常に新たに自ら探さねばならない。そういう意味では、現代人は本質的に「さすらい人」である。(資料①P267)

いったい何が失われて「そこへ帰っていく場所」が失われたのだろう。「個人の独立を意識した近代の人間」には、故郷が失われた、と言う。

昔の地域社会、家族や地域の人々が協力しなくては生活の難しかった時代には、人と人とが密であった。まとまり、内と外の意識、故郷意識は強かったのだろうと思う。その反面、どのうちのだれそれがどうしたことが筒抜け、プライバシーのない不自由な社会・時代でもあったろう。経済的に豊かになったこともあって、地域社会や家族を頼らず楽に暮らせる便利な時代になった。そして地域社会のまとまりは薄くなり、家族の絆も今や薄くなりつつある。愛情ある家族関係の中で育たなかった人間の、社会との関係が築けず、精神的不安定から引き起こされた異様な犯罪も増えつつある。

「失われたもの」は、強い「絆」や「関係性」だろうか。便利な機器の登場で、さらに何か失われているように思われてならない。かといって現代人は前時代に帰ることはできない。「失われるもの」を個人個人が問いただし、意識していかねば、さらに予期せぬものが待っているように思える。「さすらい」の想いはこれからも常に付きまとうのかもしれない。

「さすらい」を題名にもつこれらの歌に聴かれるのは、孤独と憂愁、疲れ、安らぎの希求などだが、それだけではない。「憧れ」を請い求めてさすらう姿、「さすらい人が月に寄せて」では孤独ゆえの平和、さすらいの肯定さえ感じられる。そして石井氏は「さすらい」の多義性を問題にし、そこに留まらないシューベルト像を見ている。

それでは、この「さすらい人」、詩人ミュラーと重ね合わされて見られたシューベルトの像は、十分であろうか。

シューベルトは、現代の私たちのような存在、すなわち、どこにも確固とした足場を見出さず、目的なく、あるいは目的を定めても、それによって人が幸せになる保証など全くないまま遮二無二進んでいくが、基本的にたださすらう性格をもった存在と同じであろうか。

「さすらい人」は、確かに、シューベルトの音楽の中心的カテゴリーをなすが、しかし、まず、この概念自体が、シューベルト自身の作品の中においても多義的であることを知らねばならない。例えば、幻想曲ハ長調(『さすらい人』、D760)は、リート『さすらい人』(D489)の中間部メロディを主題としているが、実際にこの二つの作品を比べてみると、内容は対応していない。リートは疎外された者の痛みと憧れであるが、幻想曲の方は、むしろ、無限の自己否定を通しての自己超克なのである。むしろ主題的に関連があるこの二作品の間の違いを明らかにすることの方こそ重要であるように思われる。(資料①P273)

「さすらい人幻想曲」を今回はギルバート・シュヒター盤とミシェル・ダルベルト盤のピアノで聴いた。交響曲の「未完成」が、この曲の作曲で未完成になったとも言われる。ちょうど病気に罹ったであろう時期に作曲された曲だ。

あのD.489のリート「さすらい人」の第2節、

  ここでは太陽が冷たく

  花はしおれ、世界は老いて見える

  そして人の言葉はうつろに響く

  私はどこにいてもよそ者だ」

が中間部に引用される。

この疲れ、寂しく、安らぎを求めるメロディと「さすらい人」という言葉から、この曲を想像すると大きく裏切られる。ダクチュルス(強弱弱)の力強い連打がこの曲を貫いている。憧れを求め続けるエネルギーに満ち溢れているようだ。

石井氏は「無限の自己否定を通しての自己超克」と聴いた。大変技巧的でもあるし、「さすらい人」という題名に期待を裏切られた口だから、この曲があまり好きではなかったが、今回聴きなおしてみてなかなか面白いと思うようになった。なるほど「さすらい」は若者の情熱、エネルギーでもある。華やかな肯定の音で締めくくられる。

石井氏は、シューベルトの音楽を「さすらい」からさらに一歩進んで、アドルノの説である「死の風景」をさすらう音楽と位置づけていく。

ちなみにアドルノは「さすらい人幻想曲」について次のように言っている。

『ロ短調交響曲』の最終楽章がついに書かれなかったことは、たとえば『さすらい人幻想曲』の終楽章が物足らぬことと関連づけて考えられるべきことである。彼が心情あふれる素人芸術家だから締めくくりをつける術を知らないのではなく、「まだ完成に至らぬのであろうか」という冥府の底なしの問いが、シュ-ベルトの全局面の上に金縛のように蔽いかぶさっているのであり、この問いを前に音楽は沈黙する。だからこそシューベルトの手によって残された成功した終楽章は、彼の作品がはらんでいる希望の、おそらくもっとも力強い狼煙(のろし)なのである。もちろん、『さすらい人幻想曲』のなかには、まだそのかけららしいものさえ見当たらない。それどころか、そのあかるい森の緑は、引用の行われるアダージョにおいてちぢかまり、くらいアケロンの谷に打って変わるのだ。(資料⑧P38)

これからさらに話は続くのだが、この「さすらい人幻想曲」について言っているのかがよくわからない。アケロンの谷とは日本で言う、三途の川、地獄との境の川であるらしい。アドルノの言う「成功した終楽章」について、例えば、「ハ長調交響曲」らしいが、「シューベルトの音楽において時は燃え立ち、成功した終楽章はすでに死のそれとは違った圏からもたらされてくるのである。」(資料⑧P42)と言っている。

参考資料

①石井誠士「シューベルト 痛みと愛」春秋社 1997

②前田昭雄「シューベルト」春秋社 2004

③ペーター・ヘルトリング、富田佐保子訳「シューベルト 12の樂興の時とひとつの小説」同学社 2004

④CD:フィッシャー=ディスカウ&ムーア、シューベルト歌曲大全集 ポリドール

⑤CD:グレアム・ジョンソン(ピアノ)シューベルト歌曲大全集 ハイペリオン

⑥CD:Gilbert Schuchter (piano) TUDOR 749

⑦CD:ミシェル・ダルベルト(ピアノ) rec.1989-1995 DENON COCQ-84414-27

⑧テオドール・アドルノ、三光長治・川村二郎訳「楽興の時」白水社 1994

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29 宇宙的孤独の充実、楽興の時 D.780(1823-28)(2009/8/20 )

石井誠士氏は、「楽興の時」の第一曲ハ長調を「宇宙的孤独の充実」と聴いた。

宇宙的孤独の限りなく深い充実。この音楽を言葉で言うとすると、あるいはこうとも言えようか。「これらの無限な宇宙の永遠の沈黙が私を恐れさせる」と言ったのは、十七世紀のブレーズ・パスカルであるが、そういう、中世の空間が壊れて、無限な宇宙に直面したときの近代的な人間の孤独に通ずるようであるけれども、シューベルトは、宇宙の永遠な沈黙を恐れていない。むしろ、それを外でなく、自己自身の奥底に見て、それに落ち着いて聴き入っている。… シューベルトは、瞬間に時の充実を見るのである。コンヴィクトの親友の一人のエッケルが、「シューベルトは、少年時に既に、内面的で、霊的な、深く物思いに沈む生活をしていたが、それが外に言葉で伝えられることはあまりなく、ほとんどただ楽譜でのみ示された、と私は申したい」と言っているが、こういう曲は特にそのことを考えさせる。(資料①P265)

楽興の時 D780

 第1番ハ長調 Moderato

 第2番変イ長調 Andantino

 第3番ヘ短調 Allegretto moderato

 第4番嬰ハ短調 Moderato

 第5番ヘ短調 Allegro vivace

 第6番変イ長調 Allegretto

「さすらい人」や「さすらい人が月に寄せて」に孤独の平和を聴いたが、この曲の美しさも月の光の照らす美しさだろう。太陽の陽気で明るい光ではなく、夜空の孤独な月の青白い光。宇宙的孤独の限りなく深い充実

私の母に治療法がないとわかった時、最期まで母との充実した時を過ごしたいと思った。充実した時とはいったいどんな時を過ごせばいいのか、と思った。結局普段の生活しかできなかったが、はたして充実した時間だったろうか。何かしてあげたいと思っても、何も飲み込むことができない。散歩に行くこともなかなかできず、大好きな本を借りてきても、もう読む気力がなくなっていた。指は思うように動かず、テレビを見るのも疲れるようになった。母にとってはたして充実した時間だったろうか、といつも思い返している。「楽興の時」第2番変イ長調を聴くと、母との時間を想う。この曲が大好きだ。宇宙的孤独、それにじっと耳を傾ける。それは、アドルノの言う「死の風景」に通じるものだろう。

シュヴィントは、シューベルトが死んだとき、「今、彼が何であったかということが解るにつれて、彼が何に苦しんだかが解ってくる」と言った。シューベルトとは何ものか?彼は、いったい、何に苦しんでいたのか?一方にこの世界のよそ者として、孤独に、目的なくさすらうペシミスティックなシューベルトの像がある。他方に、おおらかな、憧れいっぱいの、無限に自己を越えていくオプティミスティックなシューベルトの像がある。 … ペシミスティックなシューベルトの像が、二十世紀末の現代には、訴える力を有している。しかし、「死の風景」を「根拠づけるアプリオリ」と捉える高次のリアリズムの視点からすれば、この二つは矛盾するのもではない。(資料①P280)

「死の風景」を「根拠づけるアプリオリ」と捉える、とはどういうことか。

「アプリオリ」を広辞苑で引くと次のように出てくる。

  ①発生的意味で生得的なもの。

  ②経験にもとづかない、それに論理的に先立つ認識や概念。カントおよび新カント学派の用法。

  ③演繹えんえき的な推理などの経験的根拠を必要としない性質。ア‐ポステリオリ

つまり、「死の風景」を生得的なものと根拠付け、見据えて、そこから新たな視点で世の中を見るということだろうか。だから、ペシミスティックであり、オプティミスティックでもある。そして、「死の凝視による生の充実」でもあるのだろう。さらに「死の風景」とは「誕生と死との間の無時間的な循環」でもあるのだと思う。「誕生と死との間の無時間的な循環」という言葉も難しいが、ふと、これは「無常」ということと同じではないかと思った。石井氏とアドルノはシューベルトの音楽に、真理を聴いている。宇宙的孤独恐れず、それにじっと耳を傾けようと思う。

ミシェル・ダルベルト盤とギルバート・シュヒター盤で聴いた。心の深いところに届く音楽、演奏であった。非常に厳粛な気持ちになった。

参考資料

①石井誠士「シューベルト 痛みと愛」春秋社 1997

②テオドール・アドルノ、三光長治・川村二郎訳「楽興の時」白水社 1994

③CD:ミシェル・ダルベルト(ピアノ) rec.1989-1995 DENON COCQ-84414-27

④CD:Gilbert Schuchter (piano) TUDOR 743

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30 シューベルト:弦楽四重奏曲第15番ト長調 D.887(1826年)(1)(2009/8/22 )

シューベルトの弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」を聴き比べているうちに、すっかりシューベルトの弦楽四重奏の虜となった。聴き比べていくと「死と乙女」には素晴らしい演奏がずらりと揃っているのに驚いた。

CDの全集も、メロスSQ,ライプチヒSQ、アウリンSQ、ウィーン・コンツェルトハウスSQ、ウィーンSQ、ヴェルディSQ、シネ・ノミネSQ、コダーイSQと数多い。ホイトリングSQは9曲を録音しているし、その他、ハンガリーSQ、カルテット・イタリアーノ、東京SQ、カルミナSQ、アルバン・ベルクSQ、エマーソンSQ、ブランディスSQ、アマデウスSQ、ノヴァークSQ、プラハSQ、ジュリアードSQ、マンデルリングSQ、ハーゲンSQ,チリンギリアンSQ…ときりがない。

最後の弦楽四重奏曲、第15番ト長調 D.887 を聴く。この曲も第14番ニ短調に劣らず実に素晴らしい。

喜多尾道冬氏はこの曲について次のように言っている。

弦楽四重奏曲第十五番は、第十四番《死と乙女》の後を受け、彼の最後の弦楽四重奏曲となった。第一楽章のトレモロにいちばんの特徴がある。このトレモロはすでに彼の初期の弦楽四重奏曲のなかにあらわれ、あの未完の第十二番《四重奏断章》で聴き手の耳をそばだたせ、この十五番で明確な意味を持つに到った。それは期待と不安に揺れる心の震えとも、またなにごとかが思うようにならないもどかしさから生まれる苛立ちとも言うべきフィジカルな反応そのものである。しかし一方で、この神経過敏な痙攣を懸命になだめようとする抑制の心理が働いてもいる。言い換えれば、曲は不気味な暗闇の中で不安に駆られる焦燥感と、根気強く出口を見いだそうとする忍耐とが、たがいに牽制し合いながら緊張をはらんで展開してゆく。そしてその心理の矛盾は長調と短調、フォルテとピアノの交替であらわされる。

曲は第二楽章、第三楽章、そして終楽章と発展してゆくにつれて、希望というやわらかい軟膏が、ささくれ立った苛立ちを忍耐強くなだめてゆく。その甲斐があって少しずつ希望がましはじめ、これまでの不安をなつかしく回想するほどまでに鎮めえた、と思いきや、最後の瞬間、それに反発するかのようにもう一度はげしい痙攣の叫び声が発せられる。そして、すべての説得の努力が無になったことを告げて終わる。(資料③P277)

この曲にじっと耳を傾ける限り、特に最後の音は決して「はげしい痙攣」ではない。そうではなくて、むしろ「はげしい肯定の音」であるように思う。残念なことに喜多尾道冬氏は、不治の病からシューベルトの音楽を解釈しようとするあまり、この曲の解釈を誤っている。

喜多尾氏は未完成交響曲に関しても、「そこから聴きとれるのはその悶々とした性的妄想である」「この時期に彼のエロスの願望が昂進し、それにもかかわらずその捌け口を見いだすことができず、音楽で表現することでカタルシス代わりにしようとしたのではなかったか」(資料②P224)と述べているが、私にはそのように聴き取れない。

石井誠士氏の言うとおり、「シューベルトの場合こそ、重要なことは、音楽がむしろ、彼の体験の直接的表現になっていないということである」(資料①P297)、であろう。

次に前田昭雄氏の解説を見てみる。

この年六月二十日から十日間で弦楽四重奏曲ト長調(D887)が書きあげられ、このジャンルの創作が閉じられる。後期の弦楽四重奏曲といえば前年に成立したイ短調とニ短調、そしてこの年のト長調の三作だが、前の二作品が短調であるのに比べて、この最後の作品は長調をとる。しかしなんという長調だろう、その調性は自在な転調によって豊かな力強い変貌を遂げ、表現の燃焼度は長・短調の区別を超えて、高い。それは最後の年の室内楽、弦楽五重奏の曲の重厚で豊穣なハ長調(!)の先取りともいえる。

第一楽章の冒頭はその表現の密度を集約している。その筆はベートーヴェンの後期をも思わせる完全な自由さで進み、楽章全体を領する力強いエネルギーが意味深いトレモロと共に頂点に達する。また各楽器とも重弦奏法が多く、音が豊かで、暑い。五重奏の音響への道はこの意味でもすでに準備されている。

第二楽章はチェロが高音域で歌う静かなアンダンテ。他の楽器も表現的な副声を豊かに織り合わせ、やがてそこから動きが生まれ、およそクヮルテットの緩徐楽章で未曾有なエネルギーで、シューベルト後期に特有のトレモロが強震する中央の頂点がきわめられる。その後の展開も力みなぎる壮絶な表白で、ベートーヴェンの後期に匹敵する孤独な高みで、思索が時間に音響化されている。

第三楽章は第一、第二楽章の重さを切り捨てるような、明快なスケルツォ。無窮動的な同一リズムの貫通と、主題の上行下行の対象の妙が爽快だ。そういう主部と対照するトリオ部分の和やかな歌の流れ ― ここでもチェロが先導し、豊かな分散書法が四声全体に歌を溢れさせる。

第四楽章も激しい動きをはらみながら、構成は明快、形式も和声もきわめて自由に、力作の結びを駆け抜ける。タランテラ風のロンド主題は、前作ニ短調のフィナーレと似ているが、違う。ここでもリズムが楽章の全体に溢れ、ふくれ上がり、縦横に展開され、そこに注ぎ込まれる音楽のエネルギーは大きいのだが、それをコントロールする形式の力は、さらに強い。

大きい輪郭で見ると、この曲の四つの楽章は、問いの提示からその解決を志向する懸命なプロセスであるともみられよう。問題の解決は必ずしも成就しない。第一楽章で深く、激しいものへの真剣な問いかけがなされ、第二楽章でその意味がかみしめられ、第三、第四楽章でそれらが「徹頭徹尾、音楽的なもの」のうちに解消されるのだ。前作《死と乙女》に知名度では一歩を譲るこの最後のクヮルテット、内容と形式の完全な融合を実現するこのジャンルでの孤高の傑作として、聴き入る人の心に訴え続ける。言葉や概念による解決とは異なった、作曲の行為による問題の解消 ― それはシューベルトの存在全体を象徴するかのようだ。(資料②P110-112)

前田氏は、この曲に「作曲の行為による問題の解消 」、「シューベルトの存在全体」の「象徴」を聴いている。「問いの提示とその解決を志向する懸命なプロセス」とすると、いったいその問いとはなんだろう。

参考資料

①石井誠士「シューベルト 痛みと愛」春秋社 1997

②前田昭雄「シューベルト」春秋社 2004

③喜多尾道冬「シューベルト」朝日新聞社 朝日選書584 1997

④CD:Melos Quartett rec.1991 harmonia mundi HMA 1951409

⑨CD:Quatour Heutling rec.1968-71 EMI Music France 7243 4 71942 2 1