Sea Princess / Borodin / Ono & Masuda

ボロディン Alexander Porfirievich Borodin (1833-1887)

海の女王 The Sea Princess (1868  ボロディン詩)
小野綾香 Ono Ayaka (mezzosoprano) 増田桃香 Masuda Momoka (piano)


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Pridi ko mnye nochnoy poroy,

夜の間に私のところにおいでなさい

O putnik molodoy.

おお、若い旅人よ

Zdyes' pod vodoy i prokhlada, i pokoy.

水の下のそこは涼しく穏やかです

 

 

ty zdyes' otdokhnyosh',

ここでなら休むことができます

ty sladko zasnyosh',

ここなら甘い夢を見られますよ

kachayas' na zybkikh vodakh,

さざなみに揺られて

 

 

gdye, negi polna, adot me

ここにはうっとりする自然がいっぱい

lish' dryemlyet volna

波だけが

v pustynnykh byeregakh.

何もない海岸でまどろんでいます

 

 

Po zybi morskoy

さざなみ立つ海を越えて

sama za toboy

海の女王

tsaryevna morksaya plyvyot.

あなたの後ろにすっとやってくる

 

 

Ona manit, ona poyot,

彼女は手招きし、歌い、

k sebye tebya zovyot.

彼女の元へ来るように呼びかけている

(レイフェルクスのCD解説にあるロシア語ローマ字表記、英訳による)

 

 

 

 

 

 

ボロディンの7番目の歌曲。
「暗き森の歌」と同じ1868年に作曲された。
「暗き森の歌」と違って民衆に訴えるという思想的に意図を持った歌ではないらしい。
ローレライのように人を惑わし海に引き込むという魔女サイレーンのことを歌っているようだ。
ボリス・クリストフのLPの井上和男氏の解説には次のように書かれている。

『この歌の成立には当時ボロディンが或る若い女性にほのかな恋を感じた一件が関係している。すでに妻を持っていた彼としては、それを振り切るための気持ちの整理として作詞作曲された。旅人を誘い込もうとする海の女王の逃れがたい力がそこに描き出されている。』

真面目なボロディンのことだからそんなこともあったのかもしれない。
ピアノの伴奏は穏やかでうっとりとした波の様子を表していて幻想的な雰囲気を醸し出している。
そして海の女王の魅力的な呼びかけが聞こえてくる。
やがて波が荒くなり女王がすぐ後ろまでやってくる。
「暗き森の歌」と比べるとずいぶん雰囲気が違いお伽話の世界だ。

ボロディン年表

 

年齢

出来事

1833

0歳

新暦12月12日アレクサンドル生まれる。父親は公爵ゲディアノフ
母親はその家政婦アブドーチャ・コンスタンチーノブナ・アントーノワー
公爵の屋敷付き農奴であったボロディン夫妻の子として出生届が出された

1843

10歳

実の父親の公爵死亡。ボロディンは自由の身の解放農奴となる

1849

16歳

トペル県ノポトールグの第三級商人階級に編入、中学卒業の資格得る
「感動的アダージオ」出版

1850

17歳

夏、ペテルブルグ第一男子中学校修了試験合格
9月、内科外科アカデミー医科に進学。化学者ジーニンに師事

ワシーリエフ、シチーグレフと共に室内楽に夢中、ワシーリエフ兄の声楽伴奏

1855

22歳

(1)暁のような娘よ、なぜそんなに早いのか(詞ソワヴィヨフ)

(2)美しいおとめは私に愛想をつかした(詞ヴィノグラードフ)

(3)友よ、私の歌を聴いて(詞E.クラウゼ)

(4)美しい漁師の娘(詞ハイネ、クロボトキン訳)

1856

23歳

内科外科アカデミー卒業。第2陸軍病院インターンになる。

ムソルグスキーと会う。

1857

24歳

眼科国際会議のためベルギー、ドイツ、フランス、イタリアを訪問

 

 

医師の仕事を辞め化学の研究に

1858

25歳

医学博士号取得。青年医師研究所に。化学を講義。

1859

26歳

ムソルグスキーと再会。ハイデルベルグ留学。

1861

28歳

ハイデルベルグでピアニストのエカテリーナ・プロトポーポワと会う。

1862

29歳

ペテルブルクに帰国。アカデミー化学講座の助教授になる。

バラキレフと会う。

1863

30歳

エカテリーナと結婚。

1864

31歳

アカデミー正教授になる。

1866

33歳

グリンカの妹シェスタコワ、ペトロフ、レオーノアらに会う。

1867

34歳

スターソフ、力強い仲間達と名付ける。交響曲第1番完成。

(5)眠れる王女(詞ボロディン

1868

35歳

ダルゴムイシスキー、プルゴリド姉妹、チャイコフスキーと会う。

(6)暗い森の歌(詞ボロディン

(7)海の女王(詞ボロディン)

(8)まちがった音符(詞ボロディン

(9)私の歌は毒に満ちている(詞ハイネ、ボロディン訳)

1869

36歳

交響曲1番初演、スターソフ「イーゴリ軍記」紹介。

1870

37歳

オペラ断念、交響曲作曲へ、バラキレフ精神病で退く。

(10)海(詞ボロディン

1871

38歳

バレエ「ムラダ」へ作曲。

(11)私の涙から(詞ハイネ、メイ訳)

1872

39歳

女子産科課程設立のため多忙。

1876

43歳

交響曲2番完成。

1877

44歳

ヴァイマルでリストの激励を受ける。

1880

47歳

中央アジアの高原にて」作曲。妻の病気。

1881

48歳

ムソルグスキー死。弦楽四重奏曲第2番作曲

(12)アラビアの歌(詞ボロディン

(13)よその家では(詞ネクターソフ)

(14)遠い祖国の岸へ(詞プーシキン

1884

51歳

(15)傲慢(詞A.K.トルストイ

1885

52歳

(16)不思議の国(詞G.コラン)

1887

53歳

2月心臓発作で急逝。