ムソルグスキー Modest Mussorgsky (1839-1881) Mossorgsky Songs
私の心のあこがれ Meines Herzens Sehnsucht(Longing)(Zhelaniye serdtsa)(1858.9/5)
詞:ムソルグスキー 独語(ウーソフ露訳)
Lastochke lekho rezvitsa, |
ツバメは遊びまわったり、 |
v siney vyshine skolzit'... |
青空の高いところを上っていくことができる |
Bud' i ya krylatoy ptitsey, |
私が翼を持った鳥だったら |
znal by ya, kuda speshit'. |
どこへ飛んで行くか知っていたのに |
Nam ne suzhdena s toboru |
あなたと私は運命づけられていなかった |
radost' mirnovo gnezda, |
平和な巣の喜びを分かち合うことを |
vsyo zhe mne dano sud'boyu |
でも運命は判決を下した |
vernym byt' tebe vsegda. |
私がいつもあなたに忠実であるべきだと |
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Ty v dali, ya eto znayu, |
あなたは遥か彼方にいる、わかっている |
no vsyo zhe ty mne blizka. |
でも今でもあなたは私の近くにいる |
V serdtse dumu ya pitayu, |
心の中はあなたの想いでいっぱい |
o tebe moya toska. |
私の憧れはあなただけ |
Akh! Ya znal by schast ye v zhizni, |
ああ、私は人生の喜びを知っていただろうに |
bud' svobodnoy ptashkoy va. |
もし私が鳥のように自由であったなら |
Pomchalsa by ya k otchizne, |
私は故郷に急いで行っただろうに |
gde ty zhdyosh, lyubov moya. |
私の恋人、あなたの待っているところに |
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Lastochke lekho rezvitsa, |
ツバメは遊んだり、 |
v siney vyshine skol'zit'. |
青空の高いところを上っていくことができる |
Bud' i ya krylatoy ptitsey, |
私が翼を持った鳥だったら |
znal by, znal, kuda speshit'. |
どこへ飛んで行くか知っていたのに |
Ya nesu razluki bremya, |
私は別離の重荷を耐えている |
i otrady luch poras. |
そして喜びの光は消えてしまった |
Toropis, o vremya, vremya, |
早く過ぎてくれ、おお、時間よ |
i uskor zhelanny chas. |
憧れの時を早く運んで来てくれ |
(SCHIRMER'S LIBRARY, Vol.2018 MUSSORGSKY Complete Songs HARLOW ROBINSONの英訳とLeiferkus&SkiginのCD英訳より)
伊藤一郎、一柳富美子編訳「ムーソルグスキイ歌曲歌詞対訳全集」新期社1988によると、歌詞はムソルグスキーによるドイツ語でダルゴムイシスキーの生徒でアマチュア歌手、後にキュイの妻となるマリヴィナ.P.パムベルグ(1846-1899)に献呈されたとある。
ロシア語への訳詞者ウーソフはパーヴェル・ラムによる校訂編曲のムソルグスキー全集(未完,1928-39)のドイツ語監修者とあるから、作曲当時は歌詞はドイツ語であっただろう。パムベルグという人がドイツ系の人だったのだろうか。
ムソルグスキーは晩年の有名なレーピンの絵からは想像できないような繊細で一途な人で、その歌曲は作曲時の日常や想いが描かれており、まるで日記のように作曲した。そして様々な新しい工夫や試みをしていて興味深く、なんと言っても音楽が素晴らしい。展覧会の絵を例にとってもわかるように、それまでは全くなかった新しい音楽形式や響きなどを創り出していく、とても創造的な人物であった。
ムソルグスキーが「ロシア五人組」の仲間に出会った19歳前後の曲。
この曲はボリス・クリストフは録音していないようだ。