「冬の旅」の詩人ヴィルヘルム・ミュラーと作曲家フランツ・シューベルト、当時の社会情勢を見渡す年表を作ってみた。あまり細かく記載すると大筋がつかめなくなるので大雑把にまとめる。参考にしたのは渡辺美奈子著「ヴィルヘルム・ミュラーの生涯と作品」で、他に南弘明、南道子著「冬の旅」、村田千尋著「シューベルトのリート」など。
ミュラーもシューベルトもフランス革命の始まりから10年も経たずに生まれている。ナポレオン戦争、ウィーン会議を経て復活した専制体制に、自由主義、ナショナリズムが厳しく取り締まられていた。侯国デッサウに生まれたミュラーは解放軍に加わり、ライン同盟でナポレオン軍に加えられた同郷人とも戦わなければならない複雑な立場にあった。ウィーン体制後の検閲も厳しく重苦しい社会であった。ギリシャ独立を「ギリシャ人の歌」を通して支援していたことからもオーストリアや旧体制にナショナリズム・自由主義が抑圧される現状に不満を持っていたのだろう。
ミュラーは解放軍に加わってブリュッセルにいた時、ユダヤ人のテレーゼという人妻と官能的な関係を持ち、何かしらのトラブルに巻き込まれ除隊することになったようだ。ここがはっきりしないのでもどかしいのだが、この時作られたブリュッセル・ソネット9篇が発見され、ミュラーは追放され、見捨てられ、誰にも苦しみを訴えられず、悪行はしていないのに恥ずべき行為に変えられてしまったとある。ということは軍を除隊させられて失意のうちに一人デッサウ、ベルリンへ戻ってきたということらしい。11月18日に出発して12月に着いているので冬の旅としては少し時期が早い。失恋、裏切り、ユダヤ人、キリスト教、よそ者意識、というキーワードが浮かぶ。
また、ベルリンに戻ってからの敬虔なキリスト教徒ルイーゼとの失恋も「冬の旅」「美しき水車屋の娘」の素地になったようだ。恋敵が現れて身を引いたようだ。よくわからないがプロテスタントとカトリックの問題もあるらしい。
ミュラーは結婚して幸せな時期になぜ「冬の旅」を書いたのか本当に疑問だ。誰にも打ち明けられないモヤモヤが作品として現れたのか。
「冬の旅」の陰鬱な雰囲気はまた産業革命による社会の変化もあるのかと考えていたが、ドイツ地方に本格的に産業革命の波が押し寄せるのは1840年代というもう少し後の時期らしい。
また、「冬の旅」に先立って作られてその作品のヒントとなったウーラントの「さすらい人の歌」との関連はどうだったのだろうと思う。南弘明、南道子著「冬の旅」によるとその筋はハッピーエンドになっている。「水車屋」にしても同じ題材を当時は多くの人が扱うのは普通のことだったのだろうか。内容は同じように主人公は小川の中に身を沈めてしまうのだろうか。
渡辺氏の本を読んで気付かされたのは。詩は口に出して読まれるものだということ。韻やアクセントが作る言葉のリズムをミュラーは巧みに作っていることがわかった。そしてその本の最後に書かれた筆者の「冬の旅」の捉え方に深く感動した。
『(ミュラーの「人生と愛の歌」は)偏狭な愛国心や個人的体験の告白を超えた博愛的なものである。そして現実は博愛を実現するにはあまりに過酷であるがゆえに、誠実であろうとすればするほど、人は苦悩に直面する。ミュラーの詩は、そうした普遍的な生の苦悩の表現であり、苦悩を甘受しようとする諦念の表現である。そのことが、シューベルトの心を深くとらえたのと同様に、シューベルトが付曲した『冬の旅』を聞く後世の人々の心も、とらえ続けるのである。』
年 |
社会状況 |
ミュラー |
シューベルト |
1789 |
フランス革命 |
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1794 |
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10/7ドイツ、侯国アンハルト・デッサウに仕立職人の家に生まれる |
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1797 |
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1/31ヴィーン、リヒテンタールに教師の家に生まれる |
1800 |
ベートーヴェン交響曲1番 |
6歳、ハウプトシューレ入学 |
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1804 |
ナポレオン、皇帝に即位ベートーヴェン交響曲3番 |
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1805 |
アウステルリッツ三帝会戦でオーストリア・ロシアがナポレオン軍に敗れる、ウィーン占領 |
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1807 |
侯国アンハルト・デッサウ、ライン同盟に加わりフランスに従属 |
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1808 |
ベートーヴェン交響曲第5番 |
14歳、母没 |
11歳、ヴィーン宮廷少年合唱団に入団、寄宿学校コンヴィクトに入学、寮のオーケストラに参加 |
1809 |
ナポレオン再びウィーン占領ハイドン没 |
15歳、父再婚 |
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1810 |
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13歳、初めて4手のピアノのための幻想曲作曲 |
1812 |
ナポレオン、ロシアで敗退。プロイセンでフランス占領軍に対する解放戦争始まる |
18歳、ベルリン大学入学 |
15歳、宮廷楽長サリエリに作曲を習い始める、母没 |
1813 |
ライプツィヒでフランス軍敗れる。ウーラント「さすらい人の歌」出版 |
19歳、解放戦争の志願兵になる、グロースゲルシェンの戦い、パウツェンの戦い、クルムの戦い、プラハ、オランダ、ブリュッセルへ |
16歳、コンヴィクト終了、王室普通上級学校で教員養成所に通う、父再婚 |
1814 |
ナポレオン退位エルバ島追放王政復古。ウィーン会議開始 |
20歳、ブリュッセルでユダヤ人既婚者と推定されるテレーゼと恋愛、ベルリンに戻る。 |
17歳、普通上級学校卒業。父親の勤める学校の助教員になる「糸を紡ぐグレートヒェン」「ミサ曲D105」をテレーゼ・グローブ歌う |
1815 |
ナポレオン、エルバ島脱出ワーテルローの戦いで敗北、セントヘレナ島流刑、ウィーン会議終結 |
21歳、大学生活再開、友人の妹ルイーゼ・ヘンゼルと交際、古典文献学、ゲルマン研究に専念。 |
18歳、「野ばら」「魔王」 |
1816 |
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22歳、ブレンターノの出現でルイーゼに失恋、シュテーゲマン家で劇「美しき水車屋の娘」演じる5篇 |
19歳、サリエリの証明書をつけてライバッハの音楽教師のポストに求職するが失敗「万霊節の連祷」「竪琴弾きの歌」「さすらい人」 |
1817 |
|
23歳、男爵ザックの研究旅行に随伴。ウェーバー訪問、ギリシャへ行く予定がペスト流行で中止となりイタリアへ向かう。男爵と決別。 |
20歳、フォーグルを紹介される「死と乙女」「ます」「楽に寄す」 |
1818 |
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24歳、ローマ、フィレンツェ、ヴェローナ、ミュンヘン、ドレスデンに戻る。 |
21歳、ロッサウ転居。以降両親の生活から離反「軍隊行進曲」 |
1819 |
カールスバート決議で自由主義・国民主義の抑圧・検閲 |
25歳、大学を正式に卒業していないため、デッサウの代用教員になり、副業で図書館員となる。 |
22歳、「プロメテウス」「ピアノ五重奏ます」 |
1820 |
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26歳、「ローマ・ローマ人」全2巻を出版。世に知られる。父没。「旅する角笛吹きの遺稿より77の詩」出版(美しき水車屋の娘全25篇を含む) |
23歳、友人のゼンとともに一時逮捕される「ラザルス」「魔法の竪琴」 |
1821 |
オスマントルコに占領されていたギリシャが独立戦争を始める。ウェーバー魔弾の射手 |
27歳、5月デッサウの参事官バゼドウの娘アーデルハイトと結婚。10月「ギリシャ人の歌」出版。ギリシャを讃える。「ロード・バイロン」「永遠のユダヤ人」「冬の旅」執筆 |
24歳、シューベルティアーデ始まる「ズライカ」「ミニョン」 |
1822 |
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「ギリシャ人の歌」第2巻出版「新ギリシャ人の歌」 |
25歳、ヴェーバーとヴィーンで面会。病気に感染「僕の夢」「未完成」「さすらい人幻想曲」 |
1823 |
ベートーヴェンミサソレムニス |
29歳、「冬の旅」第1部出版。 |
26歳、数日間総合病院に入院。「夜と夢」「美しき水車屋の娘」「ロザムンデ」 |
1824 |
バイロン、ギリシャで病死 |
30歳、「冬の旅」第2部を含む完成版出版。宮廷顧問官に任命される。 |
27歳、エステルハージ家の音楽教師に、「夕映に」「弦楽四重奏曲ロザムンデ」「弦楽四重奏曲死と乙女」「八重奏曲」 |
1825 |
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28歳、フォーグルとオーストリア州旅行「若き尼」 |
1826 |
ウェーバー没 |
32歳、百日咳にかかる、ジモリンとフランツェンスパートに湯治、デッサウ劇場監督に「13番目」ウラニアに掲載 |
29歳、宮廷副楽長とケルンテン門劇場の副指揮者に応募するがどちらも失敗、「春に」「シルビアに」「弦楽四重奏曲15番」 |
1827 |
ベートーヴェン没 |
33歳、心気症のようなもので苦しむ、南西ドイツ旅行。ケルナー、ウーラントを訪問。ミュラー作品の出版をするシュヴァープと面会。冷淡なゲーテと面会。10/1死亡、小説「デボラ」ウラニアに掲載 |
30歳、4月「冬の旅」第1部を見つけ作曲始める。10月第2部を見つけ作曲開始。「即興曲」「ドイツ・ミサ曲D872」 |
1828 |
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31歳、「冬の旅」第1部楽譜出版。兄フェルディナントの家に同居。11/19死亡。12月第2部楽譜出版。「ミサ曲D950」「弦楽五重奏曲」「3大ピアノソナタ」「交響曲グレート」「白鳥の歌」 |
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「冬の旅」について
記録(1) , 記録(2) , 記録(3) , 記録(4) , 記録(5) , 記録(6)
ヴィルヘルム・ミュラーとシューベルト 年表 Wilhelm Müller, Franz Schubert, chronological table
1 おやすみ 冬の旅 Gute Nacht Winterreise / Schubert
2 風見 冬の旅 Wetterfahne Winterreise / Schubert
3 凍った涙 冬の旅 Gefrorne Tränen Winterreise / Schubert
4 凍結 冬の旅 Erstarrung Winterreise / Schubert
5 菩提樹 冬の旅 Der Lindenbaum Winterreise / Schubert
6 あふれ流れる水 冬の旅 Winterreise / Schubert
7 流れの上で 冬の旅 Auf dem Flusse Winterreise / Schubert
8 かえりみ 冬の旅 Rückblick Winterreise / Schubert
9 鬼火 冬の旅 Irrlicht Winterreise / Schubert
10 休息 冬の旅 Rast Winterreise / Schubert
11 春の夢 冬の旅 Frühlingstraum Winterreise / Schubert
12 孤独 冬の旅 Einsamkeit Winterreise / Schubert
13 郵便馬車 冬の旅 Die Post Winterreise / Schubert
14 霜雪の頭 冬の旅 Der greise Kopf Winterreise / Schubert
15 カラス 冬の旅 Die Krähe Winterreise / Schubert
16 最後の希み 冬の旅 Letzte Hoffnung Winterreise / Schubert
17 村で 冬の旅 Im Dorfe Winterreise / Schubert
18 嵐の朝 冬の旅 Der stürmische Morgen Winterreise / Schubert
19 惑わし 冬の旅 Täuschung Winterreise / Schubert
20 道しるべ 冬の旅 Der Wegweiser Winterreise / Schubert
21 宿屋 冬の旅 Das Wirtshaus Winterreise / Schubert
22 勇気 冬の旅 Mut Winterreise / Schubert
23 幻日 冬の旅 Die Nebensonnen Winterreise / Schubert
24 ライアー回し 冬の旅 Der Leiermann Winterreise / Schubert
シューベルト 歌曲全集 ディスカウ Alle Lieder / Schubert
シューベルト 歌曲全集2 Lieder / Schubert
ピアノソナタ全集 Piano Sonatas / Schubert
弦楽四重奏曲全集 String Quartets / Schubert
弦楽五重奏曲 String Quintet D956 / Schubert
死と乙女 Der Tod und das Mädchen D531 / Schubert
音楽に An die Musik D547 / Schubert
夜と夢 Nacht und Träume D827 / Schubert
春に Im Frühling D882 / Schubert
弦楽四重奏曲第15番 String Quartet 15 D887 / Schubert
ピアノソナタD960 Piano Sonata D960 / Schubert
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diary 2024-1-23(火) 月齢11.6 晴れ
リヒターのバッハ・カンタータ93、グールドのピアノでベートーヴェン・変奏曲集、バッハ・平均律2、ルネサンス曲集、モーツァルト・ピアノソナタk310を聴く。
ミュラーとシューベルト、社会状況の年表を作ってどのような時代だったかを考えた。
渡辺美奈子氏の著書の言葉『普遍的な生の苦悩の表現であり、苦悩を甘受しようとする諦念の表現である。』という言葉に深く感動した。
その通りだと思う!