ムソルグスキー 死の歌と踊り Songs And Dances Of Death / Mussorgsky

ムソルグスキー Modest Mussorgsky (1839-1881)

死の歌と踊り Songs And Dances Of Death (1875) text:Arsenyi Golenischev-Kutusov

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1 子守歌 / 2 セレナーデ / 3 トレパック / 4 司令官

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1 子守歌 Lullaby (1875/4/14)詩:クトゥーゾフ

Stonet rebyonok, svecha, nagoraya,

子供はうめいている、ろうそくはほとんど燃えつき、

Tusklo mertsayet krugom.

辺りに薄暗い光を投げかけている。

Tseluyu noch, kolybel 'ku kachaya,

一晩中、ゆりかごを揺らしながら、

Mat' ne zabylasa snom.

母親は一睡もしていない。

Ranum-ranyokhonko v ver ostrozhno

明け方、ドアをそっと

Smert' serdobol'naya stuk!

非情な死がノックしたのだ。

Vzdrognula mat', oglyanulas trevozhno

母親は恐怖して身震いし辺りを見回した…

"Polno pugat' sa, moy drug!

「恐れなくてもよい、友よ! 

Blednoe utro uzh smotrit v okoshko,

小さな窓に青白い朝がもうやってきている。

Placha, toskuya, lyublya,

声を上げて泣き、嘆き悲しみ、愛撫して、

Tv utomilas, vzdremni-ka nemnozhko,

おまえは疲れ果てている。さあ、少しの間おやすみ、

Ya posizhu za tebya.

おまえの代わりに私が看ててやろう。

Ugomonit' ty ditya ne sumela;

おまえは子供の苦しみを和らげることは出来なかった

Slashche tebya ya spoyu.”

私がもっと優しく歌ってやろう。」

"Tishe! Rebyonok moy mechetsa, byotsa

「静かに!私の子供は休まず闘っているの、

Dushu terzayet moyu!"

私の心は苦しみに打ちひしがれる。」

"Nu, da so mnoyu on skoro uymyotsa,

「さあ、この子はもうすぐ私の腕の中だ。

Bayushki, bayu, bayu.”

バーユシキ、バーユバーユ(おやすみよ、ねんねんよ)」

"Shchochki bledneyut, slabeyet dykhan'y

「ほおが青白いわ、息も弱くなった…

Da zamolchi zhe, molyu!"

だからお願い静かにして、お願いだから。」

"Dobroye znamen'e: stikhnet stradan'e.

「良い兆しだ:苦しみはやむだろう。

Bayushki, bayu, bayu.”

バーユシキ、バーユバーユ」

"Proch ty, proklyataya! Laskoy svoyeyu

「出て行きなさい、呪われたものよ!

Sgubish ty radost' moyu.”

おまえの優しさで、私の誇りと喜びを殺してしまう。」

"Net, mirny son ya mladentsu naveyu:

「いいや、安らかな夢を幼子に届けてやろうとしているのだ。

Bayushki, bayu, bayu."

バーユシキ、バーユバーユ」

"Szhal' sa, pozhdi dopevat', khot' mnogoven’ye

「お願いよ、少しだけでもいい、

Strashnuyu pesnyu tvoyu!”

その恐ろしい歌をやめて!」

"Vidish, usnul on pod tikhoe pen'ye.

「ほら、静かな歌でぐっすり寝込んだよ。

Bayushki, bayu, bayu."

バーユシキ、バーユバーユ」

 

2 セレナーデ  Serenade (1875/5/11)詩:クトゥーゾフ

Nega volshebnaya, noch' golubaya,

神秘的な喜び、青い夜、

Trepetniy sumrak vesni......

春の薄明のささやき…

Bnemlet, poniknuv golovkoy, bol'naya......

病んだ娘はじっと聞き入る、頭をたれて…

Shopot nochnoy tishiny.

夜の静寂のささやきを。

 

 

Son ne smikaet blestyaschie ochi,

眠りは彼女の輝く目を覆うことはなく、

Zhizn' k naslazhden'yu zovyot;

生命は彼女に楽しむように勧める:

A pod okoshkom v molchan’i polnochi

しかし真夜中の静けさの中、窓の下で

Smert' serenadu poyot:

死がセレナーデを歌うのだ:

 

 

"V mrake nevoli, surovoy i tesnoy,

不快で重苦しい、とらわれの身の憂鬱の中で、

Molodost' vyanet tvoya:

おまえの若さはしぼんでいく;

Ritsar' nevedomiy, siloy chudesnoy

驚くべき力をもった見知らぬ騎士である

Osvobozhu ya tebya.

私がおまえを自由にしてやろう。

 

 

Vstan', posmotri na sebya: krasotoyu

起き上がって自分を見てみるがいい:

Lik tvoy prozrachniy blestit,

おまえの透明な顔は美しさで輝いている、

Schoki rumyani, volnistoy kosoyu

おまえの頬はバラ色だ、長く波打つ髪によって

Stan tvoy, kak tuchey, obvit.

おまえの体は、あたかも雲に包まれているかのようだ。

 

 

Pristal' nikh glaz goluboe siyan'e

おまえの情熱的なまなざしの青い輝きは

Yarche nebes i ognya.

空や火よりもまぶしい。

Znoem poludennim veet dikhan'e ......

おまえの息は真昼の熱に満ちている…

Ti obol'stila menya.

おまえは私を捕らえて放さない。

 

 

Slukh tvoy plenilsa moey serenadoy,

おまえの耳は私のセレナーデの虜になった、

Ritsarya shopot tvoy zval.

おまえのささやき声は騎士を強く求めている。

Ritsar'prishol za posledney nagradoy,

騎士は最後の報酬を求めてやってきたのだ

Chas upoen'ya nastal.

歓喜の時がやってきた。

 

 

Nezhen tvoy stan, upoitelen trepet.

震え酔いしれる、おまえの姿はうっとりとさせる。

0, zadushu ya tebya v krepkikh ob'yat'yakh,

おお、私の強い抱擁でおまえの息を止めてやろう;

Lyubovniy moy lepet, slushay...... molchi......

私の愛のささやきを聞け…静まれ…

Ti moya!"

おまえは私のものだ!

 

3 トレパック  Trepak (1875/2/17)詩:クトゥーゾフ

Les da polyany, bezlyud'e krugom

野や草地、辺り一帯が陰鬱。

Vyuga i plachet i stonet

猛吹雪がうなり、悲しげな音をたてている;

Chuyetsa, budto vo make nochnom

それはあたかも夜の暗闇の中で

Zlaya kovo-to khoronit.

邪悪な猛吹雪が誰かを葬り去ろうとしているかのようだ。

Gluad', tak i yest'! v temnote muzhika

見よ、あれを!暗闇の中で一人の農夫に

Smert' obnimayet, laskayet;

死が寄り添い、抱きしめている。

S pyanenkim plyashet vdvoyom trepaka,

酔った農夫と死がトレパックを踊っている。

Na ukho pen napevayet:

そして死は農夫の耳にこう歌を歌う:

"Okh, muzhichok, starichok ubogy,

”おお、か弱い農夫よ、貧しい老人よ、

Puan napilsa, poplyolsa dorogoy;

おまえは酔いつぶれるまで飲んで道に迷った。

À metel-to, ved'ma, podnyalas, zygrala

しかしあの魔女、嵐が、やってきた、

S polya v les dremuchy nevznachay zagnala,

嵐は野から森の奥深くまで逆巻いておまえを追い込んだのだ

Gorem, toskoy, da nuzhdoy tomimy,

不幸、悲しみ、貧しさによって追いつめられたのだ、

Lyag, prikorni da usni, rodimy.

横になるがいい、身を落着けて、ぐっすりお休み、大事な友よ!

Ya tebya, golubchik moy, snezhkom sogreyu,

私が雪で暖めてやろう、友よ、

drug tebya velikuyu igru zateyu.

私がおまえの周りにとてもおもしろい物を見せてやろう。

Vzbey-ka postel' ty, metel' lebyodka!

寝床を揺さぶってやれ、嵐よ、私のかわいいやつ!

Hey, nachinay, zapevay, pogodka,

さあ、始めよう、歌え、さあ、嵐よ!

Skazku da takuyu,

一晩中続く物語を歌うのだ、

shtob vsyu noch tyanulas.

酔っ払いがぐっすり眠れるように。

Shtob pyanchuge krepko pod neyo zasnulas.

おお、おまえたち、森よ、空よ雲よ、

Oy vy, lesa, nebesa da tuchi,

暗闇よ、風よ舞い飛ぶ雪よ、

Tem, veterok da snezhok letuchy.

死者を包む白布を織るのだ、雪の、綿毛のような白布を;

Sveytes pelenoyu snezhnoy pukhovoyu.

そしてその老人を子供のようにそれで包んでやるのだ。

Yeyu kak mladentsa starichka prikroyu.

眠れ、私の大事な友よ、幸せなかわいい農夫よ、

Spi, moy druzhok, muzhichok schastlivy, Leto prishlo, rastsvelo!

夏がやってきたのだ、すべてのものが咲き誇っている!

Nad nivoy solnyshko smeyotsa da serpy gulyayut,

畑の上ではお日様が微笑んでいる、草刈がまが光っている;

Pesenka nesyotsa, golubki letayut!

かわいい歌が聞こえるぞ、そして鳩も飛んでいる…

 

4 司令官 The Captain (1877/6/5)詩:クトゥーゾフ

Grokhochet bitva, bleshchut broni

戦いがとどろく、鎧が光る、

Orud' ya mednyye revut,

褐色の武器が大きな音を立てる、

Begut polki, nesutsa koni,

軍勢は走り、馬は駆ける、

I reki krasnyye tekut,

そして赤く染まった川が流れる。

Pylayet polden, lyudi butusa!

真昼の太陽がぎらぎら光り、人々が戦っている!

Sklonilos sontse, boy sil' ney!

日が傾き、戦いはいよいよ激しくなっている。

Zakat bledneyet, no derutsa

日没が辺りを暗くするが、敵たちは戦い続ける

Vragi vsyo yarostney i zley!

より一層猛烈に残酷に!

 

 

I pala noch na pole brani

やがて夜が戦場に訪れる。

Druzhiny v make razoshlis

大群は暗闇の中に散らばる…

Vsyo stikhlo, i v nochnom tumane

全てが静まった、夜の霧の中で

Stenan'ya k nebu podnyalis.

空へ向ってうめき声があがった。

Togda, ozarena lunoyu,

その時、月明かりに照らされて、

Na boevom svoyom kone,

軍馬に乗り、

Kostey sverkaya beliznoyu,

白い骸骨を光らせながら、

Yavilos smert'.

死が現れた。

 

 

I v tishine,

そして静けさの中、

Vnimava vopli i molitvy,

多くの悲鳴と祈り声を聞きながら、

Dovol'stva gordovo polna,

勝ち誇った満足をみなぎらせ、

Kak polkovodets, mesto bitvy

司令官のように馬で巡った

Krugom ob'yekhala ona.

戦場を

Na kholm podnyavshis, oglyanulas,

丘に登ると、辺り一帯を見渡し、

Ostanovilos, ulybnulas

立ち止まり、微笑んだ…

I nad ravninoy boyevoy

そして戦場の平原一帯に

Pronyossya golos rokovoy:

あの不吉な声が響き渡ったのだ:

 

 

"Konchena bitva! Ya vsekh pobedila!

「戦いは終わった! 私は全てを征服した!

Vse predo mnoy vy smirilis, boytsy!

おお、戦士たちよ、おまえたちは私の前に全て屈服した!

Zhizn vas possorila, ya pomirila!

生はおまえたちを敵同士にした、しかし私がおまえたちを仲直りさせたのだ!

Druzhno vstavayte na smotr, mertvetsy!

軍団たちよ、閲兵のために仲間同士として起き上がれ!

Marshem torzhestvennym mimo proydite,

厳粛な隊列を組んで行進するのだ、

Voysko moyo ya khochu soschitat'

私の軍隊を数えてみたい。

V zemlyu potom svoi kosti slozhite,

おまえたちの将来と骨を土の中に埋めるがいい。

Sladko ot zhizni v zemle otdykhat'!

生を離れて土の中で休むのは心地よいぞ!

Gody nezrimo proydut za godami,

すぐに年月が経つだろう。

V lyudyakh ischeznet i pamyat'

そして人々はもはやおまえたちを覚えてはいない。

Ya ne zabudu! I gromko nad vami

しかし私は忘れない!そして骨の上で

Pir budu pravit' v polunochny chas!

真夜中におまえたちを祝して祝宴を開こう!

Plyaskoy tyazholoyu zemlyu syruyu

湿った地面の上を激しく踊って

Ya pritopchu, shtoby sen grobovuyu

踏み固めてやろう、それで墓の天蓋になる

Kosti pokinut' vovek ne smogli,

おまえたちの骨は二度と、二度と逃れられぬ

Shtob nikogda vam ne stat' iz zemli!"

おまえたちが二度と土から起き上がれぬように!」

(SCHIRMER'S LIBRARY, Vol.2018 MUSSORGSKY Complete Songs HARLOW ROBINSONとレイフェルクス盤の英訳より)

 

 

 

 

 

1969年6月21日ショスタコーヴィチは交響曲第14番「死者の歌」の初演時にこう語っている。

私はひとつには、自分の作品で死というテーマに触れた偉大な巨匠たちと論争しようとしているのですボリス・ゴドゥノフの死を思い出してください。ボリス・ゴドゥノフが死んだとき、一種の光が差し込み始めます。ヴェルディの『オテロ』を思い出してください。すべての悲劇が終わり、デズデモーナとオテロが死ぬと、我々も美しい静けさに包まれます。『アイーダ』はどうでしょう。主人公と女主人公の悲劇的な死を迎える場面で、晴れやかな音楽がその場を和ませます。我々の同時代の者たちに対しても、たとえば、イギリスの傑出した作曲家、ベンジャミン・ブリテンに対しても、私は反論したいのです。『戦争レクイエム』に関して、彼のあら捜しをするつもりです。
こういう死の描き方は、どれほど不幸な一生を送ろうとも、死ぬときはすべてが丸く収まり、絶対的な幸福があなたを待っている、と提唱してきたさまざまな種類の宗教教理から生まれているように見えます。ですから、私は一部には、ロシアの偉大な作曲家ムソルグスキーを踏襲しているのかもしれないと感じます。彼の連作集『死の歌と踊り』は、全部がそうではないかもしれませんが、少なくとも『司令官』は死に対する激しい抗議であり、誠実に、気高く、礼儀正しく日々暮らし、決して卑しい行いをしてはいけないということを思い出させてくれます…(死は)我々みんなを待っています。そのような人生の終焉がすばらしいものだとは私には思えませんし、その気持ちを、この作品を通じて伝えようとしているのです。(「ショスタコーヴィチある生涯」ローレル・E・フェイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳 アルファベータ2005)


ショスタコーヴィチはこれに先立つ1962年7月31日にこの「死の歌と踊り」のオーケストレーションを終えている。交響曲第14番「死者の歌」はこれがきっかけになって作られたようだ。

 

「死の歌と踊り」は、死がやってきて、歌い、踊る。第1曲目は苦しむ赤ん坊を看ている母親のもとに現れる。非情な死は子守歌を歌い、優しく死へと誘う。ショスタコーヴィチの管弦楽版はヴィシネフスカヤに捧げられた。

 

「死の歌と踊り」は当初の計画ではもっと大規模なものだったらしい。

ムッソルグスキーはスタッソフに暗示されたいろいろな主題に基いて、この歌曲集をもつと大規模なものにする計画であつた。すなはち、僧院の鐘の重々しい音を聞きながら密室で死ぬ狂信的な僧侶、送還の途中、郷里を目の前に眺めながら難破して、波に姿を消してしまふ政治的亡命者、熱に浮かされたやうな空想をもつて恋の思い出と青春時代の幻想を追ふ瀕死の婦人、その他いくつかの下書きをしてゐた。(「ムッソルグスキー」オスカー・フォン・リーゼマン著、服部龍太郎訳、興風館、1942)

 

また、「ムソルグスキーその作品と生涯」(アビゾワ著、伊集院俊隆訳、新読書社、1993)には、「金持ち」「プロレタリア」「上流夫人」「高官」「皇帝」「若い娘」「百姓」「修道士」「赤ん坊」「商人」「神父」「詩人」の12の部分が考えられていたとある しかし作られ、残ったのは「子守歌」「セレナーデ」「トレパック」「司令官」の4曲のみ。
1874年1月に「ボリス」の初演を行ったが、その人気はまもなく消えていったようだ。しかし、この時偉大な芸術家、当時67歳の歌手オシプ・アファナシエヴィチ・ペトロフと知り合った。ペトロフはこの「ボリス」で、あのワルラームを演じた。この交流からオペラ「ソロチンツィーの市」が誕生することになる。

 

「死の歌と踊り」

①「子守歌」はペトロフの妻でアルト歌手アンナ・ヤコブレナ・ヴォロービエワ=ペトローヴァに献呈された。②セレナーデは母親のように接してくれたグリンカの妹リュドミラ・イワノブナ・シェスタコワに、③トレパックはこのオシプ・ペトロフに、④司令官は詩人アルセーニイ・アルカディエビチ・ゴレニシチェフ=クトゥーゾフにそれぞれ献呈された。

 

②「セレナーデ」は、病気にかかった娘のところに死が騎士の姿でやってくる。春の夜の美しさ静けさをスラーを伴う16分音符で表現する。印象派の響き。死が訪れ魅惑的なセレナーデを歌い始めてしまう。ショスタコーヴィチの編曲では、ここから低弦の最期まで続くリズムが始まる。ああ、逃れられない死の騎士によるその魅惑のセレナーデ!低弦で表されるリズム、ピアノでは左手の低音で続くそのリズム。このリズムは少女の心臓の鼓動だ!とうとう死が命ずる。「静まれ!」その声と共にリズムはぴたりと止む。死は勝ち誇ったように、雄たけびをあげる。この最期のクレッシェンドは鳥肌が立つほど素晴らしく、そして気味悪い。

 

ムソルグスキーは死んだ。ロシア暦1881年3月16日(3月28日)、ニコラエフスキー軍事病院で朝5時ころ、病院の付添人が二人いたきりで他には誰もいなかった。彼は2度大きい声で叫んでから15分ほどして万事は終わった。アルコール中毒であった。

 

③「トレパック」は、貧しい農夫が酒に酔い、死とトレパックを踊りながら吹雪舞う森で命を落としていく。この曲を聴くときムソルグスキーの孤独と死を思う。家賃滞納で部屋を追い出され、着る物もこと欠く、貧しい孤独の死。

 

大きい声で何を叫んだか。母親のことか、目指した新しい芸術のことか、苦痛を訴えたか、仲間の無理解に対する憤りか、酒のことか、未完成のソロチンツィーやプガチョフチナのことか。トレパックを踊る死神との戦いだったのかも知れぬ。五人組の音楽仲間といたときは飲酒をしなかったか、あるいは隠していたか、仲間はそれと気付かなかったようだ。若いときにもその症状が出たことがあったが、特に母親の死、『ボリス』初演後、ハルトマンの死などつらいときにアルコールに走ったのであろう、アルコール中毒の症状が現れた。

 

レーピンの肖像のあの顔に似合わず、全く純粋で精神的に弱いところがあった。一つとしてきれいな着物はなく、あの肖像の寝間着は皮肉にもキュイからの贈り物だった。すべてが芸術に捧げられた。その他は無頓着だった。

 

ムッソルグスキーは社会的の尺度から見て益々下に沈んでいつた。一方、他の者はなんと高く上がつていつたことであらうか!スタッソフ、キュイ、ボロディンは今では閣下になり、リムスキー・コルサコフは教授になつてゐた。彼と彼等との間にある懸隔は益々深く益々広くなつてゐた。彼等は高い官職の地位に在つて、この如何ともし難い放浪人の溺れるやうな闘いを見下ろしながら、おどろき且つは不賛成の態度を示した。そして自分達の身がさうでなかつたことを創造主に感謝した。しかし彼等は全く間違つてゐた。何故ならば、ムッソルグスキーは外見上こそ不体裁な生活態度であつたが、彼の魂と芸術的良心は水晶のごとく純粋であつたし、その点は他の誰よりも一段と純粋であつたからである。われわれは『ボリス』の作者の『道徳的墜落』などといふことは一瞬たりと雖も、容認することは出来ぬ-彼は頭を上に向けて、如何なる人に対しても見上げるだけの権利があつた。(「ムッソルグスキー」オスカー・フォン・リーゼマン著、服部龍太郎訳、興風館、1942)

 

以前の仲間は皆、温かい家庭と社会的地位を得ていた。それに対して彼は全く興味のない役所の仕事に時間を取られ、最下級の地位にしかいられなかった。性格や考え方から見て、貴族や有力者の保護を受けることはまず拒否しただろう。この生き方しかなかった…

 

しかし、『道徳的墜落』『自惚と重なったディレッタンティズムの証』とか、リムスキーは自伝でなぜこうもムソルグスキーを見下した表現をするのか。自分をそんなにも偉大に見せたかったか。素人作曲家ムソルグスキーと呼ぶことはリムスキーの見下した表現に賛成することになるし、何よりもこの作曲家を馬鹿にし鼻で笑っている呼び方だ。どんなに音楽家として生きたかっただろうか。何よりも誰よりも音楽を愛し、次々に新しい形式や響きを生み出すこんなに創造的で純粋な人間なのに。リムスキーもキュイも大嫌いになった。

 

ロシア語では死神は女性名詞だそうだ。最初この曲集は作曲者に「彼女」と呼ばれていた。猛吹雪の中、酔っ払った農夫が死とトレパックを踊る。長い音の暗闇から始まる。吹雪の嵐はトレモロだ。「見よ、あれを!」といった瞬間、ピアノの左手に舞踏のリズムが現れる。これはまた耳に残る旋律だ。本格的にトレパックを踊りだす。吹雪よ、舞い散れと言うなり、下降する半音階が舞う。幻の夏の光景はテンポが緩やかになる。しかし、すぐにピューモッソ、吹雪は続いているのだ。最期は、幻がふっと現れたり、消えたりして、意識が遠のく。最後の3つの和音は農夫の魂が昇天しているようにも聞こえる。農夫は雪に埋もれ、またもとのように何もない、あたり一面白銀の世界に戻っただけだ、ともとれる。

 

なるほど死は全能、「<死>の人類における究極的の支配」を示して「漠然とした希望のかけらもない」(「ロシア音楽史」マース著、春秋社)のだけれど、ムソルグスキーはなぜこの連作歌曲を作ったのであろうか。

 

作詞はクトゥーゾフだがムソルグスキーの意向に沿って書かれたものだ。スターソフに暗示されてという表現もあるのでスターソフの意向もあったのだろう。彼らの宗教的基盤はどうであったかよくわからないが、ロシア正教に基づくキリスト教が一般的であったろう。ロシア正教がどういう死生観をもっているのか。死ぬと天国に行く、そこには安らかな生活が待っているのか。

 

スターソフは、当時の虐げられた民衆が目覚め、自らの力で歴史を作っていくべきだと強く考えていたのではなかろうか。そのため「ボリス」「ホヴァーンシチナ」という歴史オペラ民衆オペラを支援し、民衆の自覚を促そうとした。「死の歌と踊り」は生きているこの瞬間に何もしなければ何も変わらず、ただ死神の餌食になるだけだと訴えているようだ。死後は幸福な楽園は待っていない、今を、生きている今を変えよ、と訴えたかったのかもしれない。

 

④「司令官」急速に駆け上がる3連符で始まる。ただごとでない。戦場に立っているのだ。16分音符と付点8分音符のパッセージは激しい砲火の音。夜、戦闘が終わると、馬に乗った死が現れ、戦場を巡る。そしてとうとう高らかに、誇らしげに死の勝利を歌う。この旋律は1863年のポーランド反乱で歌われた革命歌「火炎と共に」だそうだ。眠るおまえたちの地面の上を踊り固めてやろう…死がこんなことを言っても我々は何もできない。ただ従うしかないのだ。何たる屈辱。愚かな争いなどやっている場合ではないぞと言っているのか。歌曲集「死の歌と踊り」が終わる。

 

ボリス・クリストフ、キム・ボルイ、ジェニー・トゥーレルら古い録音は曲順がトレパックから始まっているものがあるが、曲順が変わっても全体の印象は変わらないと考えるので4ファイルになっているものは現在の標準となっている曲順に直して記載した。

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diary 2024-4-13(土) 月齢4.4 晴れ
リリングのバッハ・カンタータBWV211、ドビュッシー歌曲全集(1)からランダムで24曲を聴く。
トラブルスピーカーKEF LS50 Wireless II は今日は正常に聞けた。
ムソルグスキーの「死の歌と踊り」にランダムボタンをつけ、各楽章が分割されていない1ファイルの音源も取り扱えるようにした。

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