3 Trepak / Mussorgsky / Christoff

ムソルグスキー Modest Mussorgsky (1839-1881)
死の歌と踊り Songs And Dances Of Death
LullabySerenadeTrepakThe Captain
III トレパック  Trepak (1875/2/17) 詩:クトゥーゾフ
Boris Christoff 管弦楽版         Nesterenko ピアノ版

   
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Les da polyany, bezlyud'e krugom

野や草地、辺り一帯が陰鬱。

Vyuga i plachet i stonet

猛吹雪がうなり、悲しげな音をたてている;

Chuyetsa, budto vo make nochnom

それはあたかも夜の暗闇の中で

Zlaya kovo-to khoronit.

邪悪な猛吹雪が誰かを葬り去ろうとしているかのようだ。

Gluad', tak i yest'! v temnote muzhika

見よ、あれを!暗闇の中で一人の農夫に

Smert' obnimayet, laskayet;

死が寄り添い、抱きしめている。

S pyanenkim plyashet vdvoyom trepaka,

酔った農夫と死がトレパックを踊っている。

Na ukho pen napevayet:

そして死は農夫の耳にこう歌を歌う:

"Okh, muzhichok, starichok ubogy,

”おお、か弱い農夫よ、貧しい老人よ、

Puan napilsa, poplyolsa dorogoy;

おまえは酔いつぶれるまで飲んで道に迷った。

À metel-to, ved'ma, podnyalas, zygrala

しかしあの魔女、嵐が、やってきた、

S polya v les dremuchy nevznachay zagnala,

嵐は野から森の奥深くまで逆巻いておまえを追い込んだのだ

Gorem, toskoy, da nuzhdoy tomimy,

不幸、悲しみ、貧しさによって追いつめられたのだ、

Lyag, prikorni da usni, rodimy.

横になるがいい、身を落着けて、ぐっすりお休み、大事な友よ!

Ya tebya, golubchik moy, snezhkom sogreyu,

私が雪で暖めてやろう、友よ、

drug tebya velikuyu igru zateyu.

私がおまえの周りにとてもおもしろい物を見せてやろう。

Vzbey-ka postel' ty, metel' lebyodka!

寝床を揺さぶってやれ、嵐よ、私のかわいいやつ!

Hey, nachinay, zapevay, pogodka,

さあ、始めよう、歌え、さあ、嵐よ!

Skazku da takuyu,

一晩中続く物語を歌うのだ、

shtob vsyu noch tyanulas.

酔っ払いがぐっすり眠れるように。

Shtob pyanchuge krepko pod neyo zasnulas.

おお、おまえたち、森よ、空よ雲よ、

Oy vy, lesa, nebesa da tuchi,

暗闇よ、風よ舞い飛ぶ雪よ、

Tem, veterok da snezhok letuchy.

死者を包む白布を織るのだ、雪の、綿毛のような白布を;

Sveytes pelenoyu snezhnoy pukhovoyu.

そしてその老人を子供のようにそれで包んでやるのだ。

Yeyu kak mladentsa starichka prikroyu.

眠れ、私の大事な友よ、幸せなかわいい農夫よ、

Spi, moy druzhok, muzhichok schastlivy, Leto prishlo, rastsvelo!

夏がやってきたのだ、すべてのものが咲き誇っている!

Nad nivoy solnyshko smeyotsa da serpy gulyayut,

畑の上ではお日様が微笑んでいる、草刈がまが光っている;

Pesenka nesyotsa, golubki letayut!

かわいい歌が聞こえるぞ、そして鳩も飛んでいる…

(SCHIRMER'S LIBRARY, Vol.2018 MUSSORGSKY Complete Songs HARLOW ROBINSONとレイフェルクス盤の英訳より)

 

 

 

 

 

 

ムソルグスキーは死んだ。
ロシア暦1881年3月16日(3月28日)、ニコラエフスキー軍事病院で朝5時ころ、病院の付添人が二人いたきりで他には誰もいなかった。
彼は2度大きい声で叫んでから15分ほどして万事は終わった。
アルコール中毒であった。

「③トレパック」は、貧しい農夫が酒に酔い、死とトレパックを踊りながら吹雪舞う森で命を落としていく。
この曲を聴くときムソルグスキーの孤独と死を思う。
家賃滞納で部屋を追い出され、着る物もこと欠く、貧しい孤独の死。

大きい声で何を叫んだか。
母親のことか、目指した新しい芸術のことか、苦痛を訴えたか、仲間の無理解に対する憤りか、酒のことか、未完成のソロチンツィーやプガチョフチナのことか。
トレパックを踊る死神との戦いだったのかも知れぬ。
五人組の音楽仲間といたときは飲酒をしなかったか、あるいは隠していたか、仲間はそれと気付かなかったようだ。
若いときにもその症状が出たことがあったが、特に母親の死、『ボリス』初演後、ハルトマンの死などつらいときにアルコールに走ったのであろう、アルコール中毒の症状が現れた。

レーピンの肖像のあの顔に似合わず、全く純粋で精神的に弱いところがあった。
一つとしてきれいな着物はなく、あの肖像の寝間着は皮肉にもキュイからの贈り物だった。
すべてが芸術に捧げられた。
その他は無頓着だった。

ムッソルグスキーは社会的の尺度から見て益々下に沈んでいつた。一方、他の者はなんと高く上がつていつたことであらうか!スタッソフ、キュイ、ボロディンは今では閣下になり、リムスキー・コルサコフは教授になつてゐた。彼と彼等との間にある懸隔は益々深く益々広くなつてゐた。彼等は高い官職の地位に在つて、この如何ともし難い放浪人の溺れるやうな闘いを見下ろしながら、おどろき且つは不賛成の態度を示した。そして自分達の身がさうでなかつたことを創造主に感謝した。しかし彼等は全く間違つてゐた。何故ならば、ムッソルグスキーは外見上こそ不体裁な生活態度であつたが、彼の魂と芸術的良心は水晶のごとく純粋であつたし、その点は他の誰よりも一段と純粋であつたからである。われわれは『ボリス』の作者の『道徳的墜落』などといふことは一瞬たりと雖も、容認することは出来ぬ-彼は頭を上に向けて、如何なる人に対しても見上げるだけの権利があつた。
(「ムッソルグスキー」オスカー・フォン・リーゼマン著、服部龍太郎訳、興風館、1942)

以前の仲間は皆、温かい家庭と社会的地位を得ていた。
それに対して彼は全く興味のない役所の仕事に時間を取られ、最下級の地位にしかいられなかった。
性格や考え方から見て、貴族や有力者の保護を受けることはまず拒否しただろう。
この生き方しかなかった…

しかし、『道徳的墜落』『自惚と重なったディレッタンティズムの証』とか、リムスキーは自伝でなぜこうもムソルグスキーを見下した表現をするのか。
自分をそんなにも偉大に見せたかったか。
私はリムスキーもキュイも大嫌いになった。

ロシア語では死神は女性名詞だそうだ。
最初この曲集は作曲者に「彼女」と呼ばれていた。

猛吹雪の中、酔っ払った農夫が死とトレパックを踊る。
長い音の暗闇から始まる。
吹雪の嵐はトレモロだ。
「見よ、あれを!」といった瞬間、ピアノの左手に舞踏のリズムが現れる。
これはまた耳に残る旋律だ。
本格的にトレパックを踊りだす。
吹雪よ、舞い散れと言うなり、下降する半音階が舞う。
幻の夏の光景はテンポが緩やかになる。
しかし、すぐにピューモッソ、吹雪は続いているのだ。
最期は、幻がふっと現れたり、消えたりして、意識が遠のく。
最後の3つの和音は農夫の魂が昇天しているようにも聞こえる。
農夫は雪に埋もれ、またもとのように何もない、あたり一面白銀の世界に戻っただけだ、ともとれる。