エリック・サティ Erik Satie (1866-1925)
1886年の3つのメロディ Trois Melodies de 1886
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1 天使たち Les Anges (text: J.-P. Contamine de Latour)
Vêtus de blanc, dans l'azur clair |
白い服を身にまとい、長いヴェールを |
Laissant déployer leurs longs voiles. |
澄んだ紺碧に広げ |
Les anges planent dans l'éther, |
天使たちはエーテルの上をゆっくり進む |
Lys flottant parmi les étoiles, |
星たちの間を百合が漂う |
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Les luths frissonnent sous leurs doigts |
リュートが彼らの指の下でかすかに揺れる |
Luths à la divine harmonie |
リュートは神のハーモニーを奏でる |
Comme un encens montent leurs voix, |
彼らの声は芳香のように立ち上がる |
Calmes, sous la voûte infinie. |
静かに、天国の無限の天蓋のもと |
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En bas, gronde le flot amer; |
下界ではひどい大波がとどろく |
La nuit partout étend ses voiles, |
夜がそのヴェールを隅々に広げる |
Les anges planent dans l'éther, |
天使がエーテルをゆっくり漂う |
Lys flottants parmi les étoiles. |
百合は星々の間を漂う |
2 エレジー Elégie ( txt: J.-P. Contamine de Latour)
J'ai vu décliner comme un songe, |
夢の中でのように私は見た |
Cruel mensonge I Tout mon bonheur. |
酷いことにすべての幸福が消えていくのを |
Au lieu de la douce espérance, |
甘い希望の代わりに |
J'ai la souffrance et la douleur. |
あるのは苦しみと痛み |
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Autrefois ma folle jeunesse, |
以前若さからひどく歌った |
Chantait sans cesse |
止むことなしに |
L'hymne d'amour. |
愛の讃歌を |
Mais la chimère caressée, |
しかし思い浮かべる幻想は |
S'est effacée, |
消えていった |
En un seul jour. |
たった1日で |
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J'ai dû souffrir mon long martyre, |
長い苦痛を苦しまなければならなかった |
Sans le maudire, sans soupirer. |
罵ることなく、ため息もつかずに |
Le seul remède sur la terre, |
たった一つの薬 |
A ma misère, est de pleurer. |
苦痛への薬は泣くことだけ |
3 シルヴィー Sylvie (text:J.-P. Contamine de Latour)
Elle est si belle ma Sylvie, |
彼女はとても美しい、私のシルヴィーは |
Que les anges en sont jaloux; |
天使たちも妬むほど |
L'amour sur sa lèvre ravie |
愛が喜ばしい唇に |
Laissa son baiser le plus doux. |
最高に甘いキスを残した |
Ses yeux sont de grandes étoiles, |
彼女の目は大きな星 |
Sa bouche est faite de rubis, |
口はルビーでできていて |
Son âme est un zénith sans voiles, |
魂は雲一つない天頂 |
Et son cœur est mon paradis. |
そして心は天国 |
Ses cheveux sont noirs comme l'ombre, |
その髪は日陰のように黒く |
Sa voix plus douce que le miel, |
声は蜜よりも甘い |
Sa tristesse est une pénombre |
彼女の悲しみは影 |
Et son sourire un arc-en-ciel. |
そして微笑みは虹 |
Elle est si belle, ma Sylvie, etc. |
彼女はとても美しい、私のシルヴィーは… |
(チッコリーニのLPの英訳から)
1886年の3つのメロディを更新した。サティ20歳の最初の歌曲。
サティ年表 close
サティ年表と歌曲
1866年(0歳) |
五月一七日エリック・アルフレッド・レスリー・サティ、オンフルール(ノルマンディー河口の町)に生る。父アルフレッドはノルマンディ1人。母ジェーン・レスリー・アントンはロンドン生れのスコットランド人。サティの祖父も曽祖も船舶仲介人や船長として海に関係があり、父も初めは船舶仲介人であった。 |
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1867年(1歳) |
妹オルガ生る。 |
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1869年(3歳) |
弟コンラッド生る。 |
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1870年(4歳) |
父アルフレッド、仲介の職を売り、一家を率いてパリに出る。 |
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1872年(6歲) |
母ジェーン・レスリー死す。オンフルールの両親の元に子供たちを預け、父アルフレッド、外国を旅行しながら学究生活に入る。六歳から一二歳までオンフルールの学校に通う。この間、父の弟アドリアンの風変りで空想的な性格の影響を受ける。 |
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1876年(10歳) |
オンフルールの聖カトリーヌ教会のオルガニスト、ヴィノにピアノを習い始める。 |
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1878年(12度) |
父アルフレッド、子供たちをパリに連れていく。 |
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1879年(13歲) |
父アルフレッド、ピアノ教師ユージェニー・ベルネッチと再婚。両親共エリックの音楽教育に大いなる熱意を示す。コンセルヴァトアールに入学。ここの雰囲気を嫌い、多くの時間を読書に当てるようになる。 |
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1885年(19歳) |
処女作(作品番号は62)ー「ヴァルス・バレー」及び「ファンテジー・ヴァルス」 |
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1886年(20歳) |
"ムッシュ・ル・ポーヴル"とあだ名され、終日ノートルダムや国立図書館でゴシック芸術の研究に没頭する。作品ーコンタミン・ド・ラトゥールの詩による歌曲「天使」「花」「シルヴィ」(父アルフレッドにより出版)「四つのオジーヴ」一一月志願兵としてアラスに勤務(第33歩兵部隊) |
1886年の3つの歌曲(第1曲 天使たち、第2曲 エレジー、第3曲 シルヴィ) |
1887年(21歳) |
兵営から逃れるために自ら気管支炎を招く。回復期に読書、フローベル、ペラダンに傾倒。一一月の除隊後、コンセルヴァトアールには戻らず、モンマルトルの常連となる。キャバレ"黒猫"での交友ーアルフォンス・アレ、ジョルジュ・オーリオル、モーリス・ドネ、タンシャン、ジューイ作品ー「三つのサラバンド」 |
シャンソン |
1888年(22歳) |
"黒猫"の第二ピアニストとなる。家族と別れコンドルセ通りに部屋を借りる。作品/「三つのジムノペディ」 |
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1889年(23歳) |
コルトー通りに移る。 |
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1890年(24歲) |
"バラ十字会"の教祖ジョセファン・ペラダンと会う。"バラ十字会"所属の作曲家となる。作品/「三つのグノシェンヌ」 |
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1891年(25歲) |
黒猫"を去り"オーベルジュ・デュ・クルー=のピアニストとなる。そこでドビュッシーと出逢う。(三〇年間の友情)作品ー「星の息子のための三つのプレリュード」 |
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1892年(26歳) |
フランス学士院に立候補(エルネスト・ギローの空席)。作品「バラ十字会の三つの鐘」 |
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1893年(27歳) |
バラ十字会を脱退し、彼自身"救世主イエスの、芸術の大本山である教会"を創立し、九五年まで新聞"教会の記録帳"を発行。作品「四つのプレリュード」「ゴート人の踊り」 |
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1894年(28歳) |
フランス学士院に立候補(グノーの空席)。ジュール・ボアとの交友。作品「天国の英雄的門へのプレリュード(ジュール・ボアの秘教的ドラマのための)」 |
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1895年(29歳) |
作品一「貧しき人々のミサ」 |
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1896年(30歳) |
フランス学士院に立候補(アンブロアーズ・トマの空席)。 |
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1897年(31歳) |
作品ー「冷たい小品」 |
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1898年(32歳) |
モンマルトルを離れ、アルクイユに住む(死の直前まで)。リヴェルヴェット・ジェントルマン"と呼ばれ、貧困の時代が続く。 |
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1900年(34歲) |
モンマルトルのシャソソン歌手ヴァンサン・イスパやポーレット・ダルティのためにシャンソンを作曲。作品ー「やさしく」「おまえが欲しい」「金の粉」「アンピール座の女神」 |
ジュ・トゥ・ヴー |
1902年(36歲) |
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やさしく |
1903年(37歲) |
週に一度はドビュッシーを訪れ、そこでのみ安らぎを得る。作品「梨の形をした三つの小品」をドビュッーに捧げる。 |
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1904年(38歲) |
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休日の小さなコレクション |
1905年(39歳) |
スコラ・カントルムに入学。三年間ルーセルとダンディに師事。 |
歌詞のない3つの歌曲(第1曲 ランブイエ、第2曲 鳥たち、第3曲 マリエンバート) |
1906年(40歳) |
作品一「パッサカリア」「タピスリーのプレリュード」 |
お医者さんのところで |
1908年(42歳) |
”トレ・ビアン"の免状を手にスコラ卒業。作品ー「不愉快な概要」 |
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1909年(43歳) |
アルクイユで"平徒救済会"を創設し、子供たちのために色々な集会や催しを行う。七月四日、知事より"教育功労勲章"を授けられる。新聞"アルクイユ・カシャンの将来"に寄稿。 |
シャツ |
1911年(45歳) |
S・M・I (現代音楽協会)の音楽会においてラヴェル、サティの作品のいくつかを演奏。国民音楽協会でドビュッシー、「ジムノペディ、一番、三番」(九七年に彼自身オーケストラに編曲)を指揮。この頃、初期の作品、ルアール・ルロール社から出版。 |
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1912年(46歳) |
一三年にかけ、"ルヴュS・M・I"に「ある健忘患者の回想録」を連載。サティの下に集まる若い仲間たち(サティスト)、彼に"音楽家たちのプリンス"の称号を与える。作品「(犬のための)ぶよぶよした真のプレリュード」 |
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1913年(47歲) |
作品一「自動記述」「乾いた胎児」「木製の太った小父さんの粗描とその媚態」「あらゆる方向に廻された章節」「メデューサの罠」 |
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1914年(48旅) |
作品」「スポーツと遊戯」「世紀的な時間と瞬間的な時間」「気むずかしい気取り屋の三つの上品なワルツ」「三つの愛の詩」(サティの詩による) |
3つの恋愛詩(第1曲 僕は砂粒でしかないけれど、第2曲 生まれつきの禿、第3曲 あなたのアクセサリーは隠れている) |
1915年(49歲) |
コクトーと知り合い、協作(バレェ「パラード」)の申し出を受ける。作品ー「最後から二番目の思想」 |
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1916年(50歳) |
作品ー三つの歌曲「ダフェネオ」「青銅の像」「帽子屋」 |
3つの歌曲(第1曲 ブロンズの彫像、第2曲 ダフェネオ (伊達男)、第3曲 帽子屋) |
1917年(51歳) |
五月一八日シャトレ座にて「パラード(一幕物の現実主義的バレェ)」上演。台本=コクトー、デュール=ピカソ、振付け=マッシーヌ、監督=ディアギレフ、指揮=アンセルメ。大スキャンダルとなる。サティの下に若い音楽家達が集まり"新しき青年たち"結成ーオーリック、ルイ・デュレー、オネゲル、タイュフェール。ドビュッシーとの友情の終幕。 |
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1918年(52歳) |
ドビュッシー死去。コクトー、『雄鶏とアルルカン』で、サティを新しい美学の大司祭に祭り上げる。作品/「ソクラテス(シンフォニック・ドラマ)」 |
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1919年(53歳) |
"若き青年たち"の四人にミョー、プーランク、リカルド・ヴィニェス、デルグランジュ、ピエール・ベルタン等が加わり、ユイゲンス通りのアトリエでしばしば音楽会を催す。作品 |
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1920年(54歳) |
=六人組"誕生ーオーリック、デュレイ、オネゲル、タイユフェール、ミヨー、プーランク。コクトー、雑誌「おんどり」を創刊。サティも筆をふるう。一月国民音楽協会の音楽会で「ソクラテス」初演。三月・バルバザンジュ画廊にて、マックス・ジャコブの作品のための「家具音楽」演奏。作品「組み立てられた三つの小品」「メヌエット」「風変りな美女」「四つの小さな歌曲」 |
4つのささやかなメロディ |
1921年(55歳) |
五月「メデューサの罠」、ピエール・ベルタンの演出により初演。 |
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1923年(57歳) |
"アルクィユ楽派"創立ーアンリ・クリケ・プレィエル、ロジェ・デゾルミエール、マキシム・ジャコブ、アンリ・ソオゲ。モンパルナスで、ピカビアやデュシャンと交友。ダダの雑誌「391」に執筆。作品一歌曲集「浮沈人形」(レオン・ポール・フアルグの詩) |
潜水人形(第1曲 ねずみの歌、第2曲 憂鬱、第3曲 アメリカ人の娼婦、第4曲 詩人の歌、第5曲 猫のシャンソン) |
1924年(58歳) |
六月一五日「メルキュール (三幕の造形的ポーズ)」シガール座にて上演。デュール=ピカソ、振付け=マッシーヌ11月二九日「休演(二幕の刹那主義的バレエ)」シャンゼリゼ劇場にて上演。台本とデコール=ピカビア、振付け=ジャン・ボルラン。幕間にルネ・クレールの映画「幕間」(これも音楽サティ)上演。 |
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1925年(59歳) |
肋膜炎を患いサン・ジョセフ病院に入院。七月一日、没す。 |
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(ジャン・コクトー「エリック・サティ」深夜叢書の中島晴子氏による年表とウィキペディア「サティ楽曲一覧」を参考にした)
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diary 2024-12-3(月) 月齢 0.9 曇り・晴れ
クイケンのバッハ・カンタータBWV 16、153、65、154、ハイドン・弦楽四重奏曲(1)ランダムBでエオリアンQの24曲聴く。サティの「1886年の3つのメロディ」を現在のプログラムに改めてアップした。
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